布袋寅泰、町田康の顔面を殴るの巻。一昨日から楽しませて貰っている。Yahoo トピックでこの記事を見つけてしまったものだから、これは祭りに違いないと2ちゃんねるの「芸能ニュース速報+」で該当スレッドを見つけて早速読み始めてしまった。だいたい発言は同じ様な事が繰り返されるのだが、たまに80年代のその界隈の裏話とか出てくるので、それ目当てで読んでいたのだ。しかしさすがに3スレッド目で飽きた。
スレッド内では「何故、布袋は町田を殴るに至ったのか?」という話題と「殴られたからって被害届を出すのは元パンクス小説家としてどうか?」に二分されているが、僕個人としては前者はどうでもよい。後者に関しては少々気になるところなのだが、スレッド内でその命題に対する、すこぶるナイスなレスポンスを見つけた。
町田はパンクだから被害届け出したんだよ
ただのロックだったら出さなかっただろうな
解りにくいとは思うが、パンクとは個人の気に入らない者(事)に対するアンチテーゼ、言ってみりゃただの悪意であるのだもの。社会的な正当性や倫理観などとは無縁の行為なのだ。自分が受けた圧力に対して、ねじくれた悪意で返すのがパンクの姿勢である。場合に拠ってはそれが喜びともなる。まあこれは僕の勝手な解釈だ。
いつものように Wikipedia で検索すると「パンク・ロック」に関してはこんな大層な事が書かれている。特に思想的特徴の辺り。そしてそれが日本に伝わってくると、様相が違ってくるようで、思想として確立するまでには至っていない。しかしながら、中には真面目に考え、その定義を求めようとする人も居たりする訳である。
時々思うのは、文化的な奔流の発端は思想なんかじゃないと思うのだ。思想とはあくまで、後々になってから、或る現象を解りやすく括る為の方便だと思っている。そりゃまあ、社会の大きな流れとなるには共感を覚え、賛同する人々の感情を汲み取るような何かしら原義が在るとは思うのだけれど、個人レベルの話と、共同体レベルの話であれば、その中心となるものが全然別個のものだと思うのである。
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話がやたらと大きくなってきたので元に戻す。
高校3年の頃、Uちゃんというパンクスの友人が居た。3年になるまでお互いにその存在を知らなかったのだが、デッサンを習っていた教室で一緒になり仲良くなったのだ。それから僕は、彼の影響で時々アマチュア・バンドが出演するギクに顔を出すようになった。僕がパンクと実際に触れ合っていたのはその頃だけだ。彼方此方で色々なものを見聞きしながらも、相変わらずそれに踏み込む事も出来ず、傍観するような態度で眺めていた。
その頃のUちゃんとの会話の中で、こんなエピソードを聞いた。或る時Uちゃんは自宅でとあるバンド(聞いたはずだけど忘れた)のテープを聴いていたところ、彼の妹がそこに現れ、やたらと横柄な態度で「それ、ダビングしてよ。」と言い放たれたらしい。その態度にムカついた彼は言われた通りにダビングするフリをして、実はボリュームを0に下げて録音して渡したとか。Uちゃんはそんな事を話しながらウッシッシッシと笑っていた。妹の傲慢さに悪意で報復する兄。僕はその時、内心は「なんて性格の悪い奴なんだ。」と思っていたのだが、今現在となってもそのエピソードを楽しく思い出す。
僕がパンクに関して知り得たのはUちゃんから教えられた事ばかりだ。つまりは彼のフィルターを通しての事なので、どう考えても一般的な認識であるはずはないのだけれど、その出で立ちや行動を介して、他人から指さされる事で己の存在を確認するという、そういう精神性を持った人間をパンクスと呼ぶものだと僕は思っている。だからこそ、上に引用した2ちゃんねるでのレスポンスにひどく共感を覚えたのである。
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町田町蔵。数々の逸話を残すパンクスのアイドルであった。「つるつるの壺」の文庫本に掲載された中島らもの解説や、「へらへらぼっちゃん」の文庫本に掲載された大槻ケンヂの解説や、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(当時は有頂天のケラ)のブログ「日々是嫌日」の記事を読めば、その一端は知れると思う。とか偉そうに書いているが、僕だってそれ以外には知らない。
それと、大槻ケンヂの解説の中にも出てきた、日比谷野音でのライヴ「天国注射の昼」の映像の一部が Youtube にアップされていた。ケラが書いた記事にあるように見事に前歯が折られている。気持ち悪い癖に凄まじく格好良い。
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