DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: September 2006 (page 2 of 2)

ワンダフルライフ / 是枝裕和

 観始めは「あなたに取って、これまでの人生で一番大切な思い出は何ですか?」という、ハートフルナントカなどと銘打たれそうな映画なのかと思っていたのだが、さすがに「誰も知らない」を撮った是枝裕和である。そんなに甘い映画ではなかった。
 記憶とは、当人の都合に拠り、幾度と無く書き換えられるものである。しかしそれを誰が責められるだろうか。それが偽りであったとしても、幸せな記憶を懐に死ぬ事を夢見る事は悪い事ではないと僕は思う。「あなたは、自分自身がどういう人間であったと思いながら死にたいですか?」そういう映画であった。例え叶えられる事がなかったとしても、自身の望みをはっきりと持っている人間は終焉を迎える事が出来る。自分に嘘を吐く事が出来ず、尚かつ幸せに死にたいのであれば、せいぜい生前に幸せな記憶を増やす事に専念すべきである。

 余談だが、エンドロールのクレジットの中に懐かしい名前を見つけた。同姓同名の赤の他人なのかも知れないが、よくある名前ではないのできっとそうだろうと思っている。生きていてくれて、私は嬉しい。

Sayuri / Rob Marshall

 公開前から、主役を日本人が演じない事など、色々な物議を醸し出していた映画。僕としては、その事については何ら問題視していなかったのだが、結局ロードショーには行けなかった。
 観た感想は、カメラワークにしても人の動きにしても、やはりハリウッドの映画だなあという事。日本文化の時間の感覚、つまりは「静」を随所に織り込む感覚は皆無である。それに、やたらと女性だけが格好良く、制作がスピルバーグだから仕方がないが、ある種サクセス・ストーリーに仕上がっている。どう見てもアメリカ映画である。要は日本の閉じられた文化を異文化の目で覗き込んだだけの物語だ。
 かと言って、僕はそういうのが嫌いではない。例えば、外国諸国で紹介されている浮世絵の冊子。繊細な線や穏やかな色彩の上に大きく太く黒いゴシック体で英文のタイトルが銘打ってある。些か暴力的なその理解の仕方に私は不快感どころか、好感を持っている。何故だかは解らない。何かしらの力を感じるのだ。

 映画とは関係ないが、アーサー・ゴールデンの原作本出版時に色々と騒動が起きていたようだ。それを知ったのは Wikipedia での記述。よく耳にする話と言えばそうなのだが、此処を読んでいると未読の原作を読む気が失せてきた。それならば、岩崎峰子の自伝を読んでみたい。

ポケット

 秋の陽射しは慎み深く、雲高く。肌を舐め流れゆく風は、己の発する熱と声とを運び去っていく。彼方に見えるは引き千切られた雲と、その前を横切るヘリコプター。最近空ばかりを眺めるようになった。行き場のなくなったこの感情を、一体何処へ向かわせればよいのかと思案するも、それさえも宙に浮いて流されてしまう。
 ポケットを増やそう。持て余した何かを取り敢えず仕舞っておけるようなポケットを。手に持ったまま、所在無くうろうろしていても仕方がない。いつかそれを取り出して、誰かに差し出す事がないとしても、取り敢えず今は仕舞っておこう。

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