DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: September 2004 (page 1 of 2)

‘Round About Midnight / Miles Davis

 このアルバムが僕が初めて手に入れた Miles Davis のアルバムである。実はつい最近になって Jazz を色々と聴くようになった。昔、それは10年くらい前だろうか、試しに Bud Powell あたりのピアノ曲を買って聴いてはみたが、全然自分の中に入って来なかった。ピアノを選んだのは、クラシックだとピアノ曲を聴く事が多かったので入り安いかと思ったのだ。しかし音楽として全く別物であったし、自分が聴く音楽ではないのだろうと、直ぐに離れてしまった。
 それから数年の後。何かのきっかけで Cuban Music を聴くようになり、それまで気にして聴いた事のなかったブラスの音に魅力を感じるようになった。それからまた数年が経ち、また試してみようかと思っているところへ、FM で ‘Round midnight という曲を耳にした。それまで感じた事のないカタルシスを自分の中に見つけ、僕は次の週末には CD 屋でこのアルバムを探し当て、その日からは暫くは毎晩聴いていたように思う。今思えば、僕の Jazz への入口はこの曲であった。かと言ってそれから Jazz にハマったかというとそういう事はなく、それから暫くはこのアルバムと Kind of blue ばかり聴いていた。Miles Davis の他のアルバムを聴いたり、他のミュージシャンのアルバムを聴いたりするようになったのは、ほんのつい最近の事である。

 ’Round midnight を真夜中に聴くのが好きだ。闇に溶け込るようなトランペットの音色を聴いていると、夜と一つになるような気分になれる。

珈琲時光 / 候 孝賢

 23日にも観たんですが、今日も観て来ました。どうしても気になる事があって、それは映像でないと確認出来ないので再び映画館へ足を運んだ訳です。
 前回観た時にも、主人公を演じる一青窈の父親役の小林稔侍が僕の父に似てるなあと思い、それから何だか気になって仕方がないのです。別に小林稔侍と僕の父の顔が似てる訳ではなく、肩幅が広く、老いても尚浅黒い顔をして、口数が少ないところや、一つ一つの仕草や表情の作り方がコピーかと思えるほどそっくりなんです。例えばビールを呑む時のコップの口へ持って行き方とか、座ったり立ったりする時の声の漏らし方とか、何か言おうとして止める時の目を移ろい方とか、何だか知らないけどいつも何かを迷っているような表情とか。観ていて非常に切なくなりました。
 それと、古本屋の主人で鉄ヲタの一青窈の友人役を浅野忠信が演じていますが、この人も僕の真ん中の弟の性格と小学校以来の友人の容姿を足すとこうなるだろうなと思ってしまう。こちらも口数が少なく、妙にお人好し。何か言いたいのを躊躇している時の仕草が似てる。結果として、今日は小林稔侍と浅野忠信を観に行ったようなものです。もっと言えば、スクリーン上に映る僕の家族を観に行ったようなものです。
 ひとつ強く思った事があります。小林稔侍(僕の父の投影としての)を観ていて、僕も、僕の父のような父親になりたいと初めて思いました。子供に疎まれ、酷い目に遭わされても、彼のような父親になりたい。劇中の父親からは切ないほどの愛情が感じられます。そう考えると、僕も父から確かに愛されていたのでしょう。何年か前に実家で撮った両親の写真を、今度スキャンし直してみようかと思っています。

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男達の別れ / Fishmans

 5年ほど前、それまでバンド名は聞いた事があったにしても、さして興味を持っていなかった Fishmans をハッキリと認識したのは、公式HP上の佐藤伸治の死亡告知だった。会社の後輩が魚男達が好きで、昼休みにたまたま開いたHPのトップページにその後輩は思わず声を上げ、それに驚いた僕がモニタを覗き込んだのがきっかけだった。それから更に2年後。同じく魚男達好きの友人の薦めで、ポリドール時代のベスト盤の ” Aloha Polidor ” 聴いてみた。それまで耳にした事のない種類の音に最初は戸惑ったが、すぐに毎晩聴くようにまでなった。誰かが書いていた。「地面にぽっかりと開いた穴を気紛れに除いてみたら、そこには宇宙が在った。」

 このアルバムは1998年の12月28日に赤坂 BLITZ で行われた、Fishmans 最後のライヴ音源である。佐藤伸治が亡くなったのは翌年の3月。勿論僕は行っていないが、前述の友人に依れば、絶叫と共に幕を開けたこのライヴは、爆音に空間が捩れ、異様なテンションの高さのまま進行して行ったそうだ。観客達はただ呆然と身を揺らしているのみで、さながら陽炎のようだったとも。途中で休憩を入れ、再度登場した魚男達はそれから50分間 ” Long Season ” 一曲を演奏し続けた。一切のアンコールも無しに終了したライヴの後、友人はグッタリと疲れ果て家路に着いたそうだ。その圧倒的な音の洪水を全身に浴びた彼等が一体其処で何を体験したのか、僕には知る術がない。

Drumline / Charles Stone III

 この映画について書く事は余りない。というか殆ど無い。ありがちなアメリカン・サクセス・ストーリーであるし、時々目にするカレッジ・ストーリーである。かと言ってそれに別に文句がある訳ではない。各俳優の演技は楽しめるし、違和感を感じる事もない。じゃあ何故エントリに書くのかというと、ドラミングが堪らないからである。もうそれだけ延々と5時間くらいやってくれないかな、というくらいシビレます。クライマックスの、シンバル10人。バス・ドラム10人。スネア・ドラム10人の編成に拠るドラムラインの一騎打ち。交互に打ち合い、相手校を挑発するかのような振り付け。こういう嗜好(?)がアメリカに在るというのが(実際のところは未だ調べていません)不思議な感じがしますが、とにかく気持ち良いです。そしてダンス。こういう部分はアメリカ映画は裏切りません。素晴らしいです。スピードと正確さ。そしてセクシャリティ。音楽とは決して文学ではない。そんな事を考えてしまいます。

 余りにも良かったので、この感覚を続けて味わいたいと、似たような映画があるか思い出そうとしましたが、思い当たりません。ダンス映画としては「 All that jazz 」とか「 Flash dance 」とか「 White nights 」とか「 Little dancer 」とか思い浮かべてみましたが、今一つ違う気がします。音楽映画ではなくダンス映画とも云い難いですが「 Sister Act 」が近い気がします。

BOTANICAL LIFE / いとう せいこう

 金子氏のブログで結構前に紹介されていた、いとうせいこう氏のボタニカルライフ。1996年から1999年までの、氏の植物生活を記した日記である。本業でもないのに、氏の日々の植物に対する雑雑とした思いと、それに伴う行動。大変楽しませて貰っている。

 さて、僕の部屋にも幾つかの植物様がいらっしゃる。ベンジャミンとハイビスカスとブーゲンビリアと名前を知らない何か。名前を知らない何かは、数年前に帰省した折りに、父親から無理矢理持たされた鉢物である。飛行機で東京へ帰るのを知っている癖に、帰り際にいそいそとビニール袋に詰められた。未だにこの人の事が理解できない。話を戻すと、僕の場合、植物を育てるというより植物の「世話をしてみる」「放置する」「世話をする」「放置する」の繰り返しのように思える。今一つ集中出来ない。そのせいか、我が家の植物達は貧弱である。貧相とも言える。ベンジャミンは枝に対しての葉っぱの占有率が30%ほどだし、ハイビスカスは今年の夏は一輪しか花を咲かせなかった。ブーゲンビリアに関しては、ツルはやたらと伸びたが花(赤いのは葉っぱらしいけど)をつける事はとうとう無かった。名前を知らない植物は、何となく葉を茂らせるだけである。花を開いたのは一昨年見たきりである。植物生活者としては、完全に僕の敗北である。
 元来、非常にせっかちである僕は、すぐに結果を求めてしまうのが悪い癖である。僕のような人間は切り花でも愛でている方が性に合っているのかも知れない。いや、多分そうだろう。しかし自分の事を、植物の世話も出来ない愛情薄い人間だと認めるのが嫌なのだ。単に技術的な問題なのかも知れないが、何となくそう思ってしまうのである。そこで僕は考えた。それぞれの植物に名前をつけてあげれば、もっと愛情を注ぐ事が出来るのではないか、と。名前。名前ねえ・・・。なかなか思いつかない。ベンジャミンは・・・ベンジャミンと来れば「伊東さん」だろうか。

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