DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Category: Days (page 6 of 35)

夏の光

 横断歩道を渡るべく歩道の端に立ち、何となく目を遣った4車線の車道の向こう側。信号機の横に、義足をつけた女性が立っていた。やがて信号が青へと変わり、人々が一斉に車道を渡り出す。
 二十代半ばくらいだろうか。水色のシャツに、白いカバンを抱き、白いミニスカート、白い靴を履いて、ポニーテールに結んだ髪の毛をリズミカルに揺らしながら、動作も柔らかく、まっすぐに前を見据えながら歩いて来た。右足が金属のシャフトである事が不思議に思えるくらい、動きに違和感を覚えなかった。もっと言えば、金属の脚が必然であるような気さえしてくる。彼女は毅然と、両の脚を周囲に見せびらかし、颯爽と歩いていた。

 横断歩道の中ほどで僕は右側に進路をずらした。右手に在るコンビニへ行く為。というのは嘘で、本当はその女性と対峙するのを躊躇したからだ。それは何故か。彼女の不遇に憐憫の情を持ったのかも知れないし、強くしなやかな光を放つ、明らかな美へ対する恐れなのかも知れない。それかはたまた、クローネンバーグが撮った「クラッシュ」の中の、ロザンナ・アークエットの強制具を装着した脚の、倒錯的な美しさを思い起こしたからなのかも知れない。

 彼女は僕の3メートル先を、白いスカートを翻し、進化した人間であるが如き面持ちで、夏の光の中を歩き去って行った。

甘く危険な香り

 二週間くらい前だろうか。通勤電車の途中駅で乗り込んできた若い男女。入社したてであろう会社員。男の方は、まあ特に興味は持てない風貌で、片や女の方は大変な美人であった。薄いウォームグレイのスーツを着こなし、少し捲きの入ったセミロング、日夜身体を磨き上げている様子で、肌は白く輝いている。
 とまあ、そんな感じの女であったのだけれど、そんな事は本旨には関係ない。彼女は香水をつけていた。しかも強めに。思い起こせば20年前くらい前は結構多くの女性(に限らず男性も)が香水をつけていたような気がする。その頃の僕はまだ20代で、関わる人も同じくらいの年代だったからそうであったのかも知れないないけど。今でも、若い人達の方が香水をつめている確率が高い気がする。

 話が逸れた。この話の主題はその香りの事だ。香水に詳しくはないから名前なんて全然判らないが、とにかく、吸い込まれてしまいそうな香りだった。僕は昔っからその類の香りがとても好きだ。何年かに一度くらいの確率でしか出会わないから正確なところは判らないのだけれど、おそらく毎回違う香りだと思う。しかしその「吸い込まれそうな」という感覚はかなり近似している。もしかすると、香水自体(香水単体)の香りではなく、その人の体臭が混じった匂いであるのかも知れない。まあ、よく判らない。

 ともかくも、その日のその若い女から漂う匂いはそういう匂いであった。同行している男はどう見ても気がある素振りで、そりゃまあそうだろう。そして困ったのは、乗降の煽りで僕の隣まで移動してきたその女の肘が、僕にガシガシ当たって来る事である。よくある事だ。何故だか知らないけど、僕はよくそういう目に遭う。理由は知らない。未だによく解らない。解らないから放っておく。そのくり返し。

 その二人が僕が乗る車両に乗り込んで来たのはその日だけだった。たまたま乗り合わせただけだったのだろう。甘く、危険な香りの記憶だけが残った。

願わくば

 彼らの希なる繋がりと、それぞれに抱える未来が、費えることなく、ずっと続いて行きますように。

首都脱出

 2月の終わりに見た夢の話。

 ★

 夜半過ぎ、地響きのような轟音に目を覚ました。僕は何故かその時、本郷台地の上に建つ古い旅館に泊まっており、畳敷きの部屋で布団に寝ていた。木枠の窓をビリビリと鳴らす音に驚き、飛び上がるように起き上がった僕は、窓外の燃えさかる火の海に慄然とした。高台の麓に川が流れていて、それに阻まれ火の手がこちらまで伸びる事はなさそうだったが、現実では有り得ない視力で、僕は燃えさかる火の中に何が燃えているのか見つめていた。そこには、燃えるのではなく、溶けていく人間の姿が見えた。ムンクの絵の中の人のように、人間が叫びながら溶けていた。
 一体何が起きたのだろう。僕は暫し考えた。何処ぞの国の飛行機が爆撃したとは思えない。それならばもっと長く爆発音が続いたはずだ。地震も違う。大地の揺れがそれとは違った。大火のようでもない。これほどまでの火が広がるまでには何かしらの騒ぎがあって然るべきだ。地響きと共に大地が燃え始めたとしか思えない。それも地上の全てが溶けるような高温で。

 考えるのに飽きて、僕は部屋から出でて廊下に出た。さすがにこの状況では旅館の中も騒然としており、他の泊まり客達が慌てふためいた様子で走り回っていた。僕はそれらの人々を避けながら廊下を当てもなく歩いた。すると、向こう側から若き日の忌野清志郎が浴衣に丹前を羽織って歩いて来た。懐に手を差し込んでてれてれと歩いている。夢の中でも彼のファンであるらしい僕は、ついつい声をかけてしまった。

「キヨシローさん、どうしたんですか」

「いや、ちょっと部屋に」

「部屋に?」

「そう、ギター持ってこようかと思って」

 既に彼の部屋の前だったようで、引き戸を開けて部屋に入っていった。そして直ぐさま彼はギブソンのハミングバードを抱えて出て来た。そのままふらふらと歩いて行く彼に僕も追従した。
 僕らが泊まっていたのは旅館の二階で、長い廊下の突き当たりに出窓がある。彼は両開きの窓を開け放ち、そこに腰掛けた。窓の外では相変わらず大地が燃えている。彼は暫くの間言葉もなくその光景を見つめていたが、ふいに弦を爪弾き歌い始めた。僕の聴いた事のないバラードだった。それに、この状況にまったくそぐわない。彼は一頻り歌った後、窓を閉め少しばつの悪そうな顔で微笑んだ。

「もう寝ようぜ」

「危なくないですかね」

「うん、こっちまで火は来ないだろうしさ、逃げるにしたって周りは全部火事だよ」

「逃げようないですよね」

「そうそう、だから寝るんだ」

「そうですね」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 僕は部屋に戻り、窓硝子とカーテンの向こうの、赤く揺れる光を感じながら布団に潜り込んだ。

 -

 翌朝目を覚ますと、部屋の中に薄く煙が漂っていた。僕は取りあえず部屋を出て、階段を降り、待合室を覗いて見た。廊下を誰も歩いては居ないし、待合室にも誰も居なかった。ただ、テーブルの上の灰皿が端に寄っていたり、塵くずのようなものが散らばっているところみると、誰かが慌ててこの場所から立ち去った事が伺える。
 僕は待合室を出て廊下を歩いた。帳場、浴場、食堂、それから二階の客間。隈無く歩いてみたが誰も居なかった。僕が寝ている間に皆逃げてしまったようだ。これ以上この旅館に留まっていても仕方がないので、僕は自室へ戻り荷物を纏め持った。

 開け放たれた玄関を出ると、そこにキヨシローさんが佇んでいた。

「眠れた?」

「はい、少し暑かったんですけどね」

「見てみなよ。そこら中が焼け野原だよ」

「ホントですね」

 高台から見下ろせる、かつては町であった大地は見渡す限り真っ黒に燻っていた。しかしずっと先の方、新宿や池袋の高層ビル群は崩れ落ちる事なく、銀色に輝いている。

「これじゃ地下鉄なんか動いてないでしょうね」

「うん」

「どうするんですか」

「家族が心配だから三鷹に帰るよ」

「歩いてですか」

「しょーがないよね」

「そうですよね」

「キミはどーすんの?」

「うーん、都心に残っているのは危なそうだから、取りあえず上野まで行ってみます。もしかしたら列車が動いてるかも知れないし」

「そーか、オレも池袋か新宿の駅に寄ってみようかな」

「その方が良いですよ。キヨシローさんギターあるし」

「そうだね」

「じゃあ、行きましょうか」

「うん、元気でね」

「はい、お元気で」

 春日通りを、キヨシローさんは手を振りながら右へ。僕は左へと曲がった。

 -

 上野駅まではそう遠くはない。真っ黒に焦げた街を横目に春日通りを東へと歩く。崩壊した建物と、道路を塞ぐように放置された自動車、そして炭と化した人間の遺体。この辺りになると生きている人間の姿がちらほら見受けられた。何処かへ向かって歩いている人。瓦礫の中から何かを掘り起こそうとしている人。ただ泣き叫んでいる人。いろいろだ。

 程なくして上野駅に着いた。駅舎は部分的に崩れ落ちてはいたが、機能しているようだ。外壁の時計は動いていた。構内には人がごった返している。皆一様に大きな荷物を背負い、先を急いでいるようだ。しかし怒号が聞こえる事もなかったし、泣き叫んでいる人も居ない。皆押し黙って、整然と改札へと吸い込まれていく。
 僕は取りあえず日本海側へ抜けるまでの切符を買った。当てなど何もなかったが、出来るだけこの場所から離れたいと思ったからだ。改札を抜けて、僕はホームへ降りた。驚いた事にディーゼル機関車が停車している。僕はホームをずんずん進み、牽引車のすぐ後ろの車両へ乗り込んだ。既に満席に近く、僕は空いていた席に身体を押し込んで、バッグを抱えた。暫くして列車は動きだし、僕は他の乗客や車窓からの景色を眺めていたのだが、その内に寝てしまった。

 -

 乗客が席を立つ物音で目を覚ました。皆それぞれに荷物を抱え出口に向かっている。この列車はどうやら此処で終点のようだ。僕は他の乗客に習って列車から降りた。
 ホームなどは無く、そのままコンクリートを打った地面へと降り立った。見渡すと其処は検車区であるかのように、敷地に何本もの列車が停車していて、周囲を山に囲まれた盆地だった。そもそも駅なんかではないようで、駅舎は見当たらず、離れた場所に事務棟のような二階建ての古い建築物が建っていた。此処が一体何処なのか見当もつかなかった。長野か、それともまだ埼玉なのか。列車を下ろされてもどうする事も出来ないじゃないか。

 仕方なく、前を歩く人々の後について歩いていると、突然横から現れた女に呼び止められた。アジア人の顔つきで、肌が白くアタマは金髪。赤と白に縫い分けられたジャンプスーツを着ていた。

「あなたはこちらの列車に乗り換えてください」

「僕・・・ですか?」

「そうです」

「ええと、あなたは僕の事を知ってる?」

「勿論です」

 それ以上尋ねる事も思い浮かばないし、行く当てもないので、僕はその女について行く事にした。最後尾の車両を見せて停まっている列車が数本在り、僕らはその中の一本に近付いて行った。

 -

 そこかしこに大昔の憲兵のような詰め襟の制服を着た男達が立っている。デザインはクラシカルだが、素材が現代の物であるようだ。薄い灰色に白い刺繍が施されている。大体は脛にゲートルを巻いた若い青年達だが、中には長靴を履いた上官らしき男が混じっている。彼らは乗客の持ち物を調べたり、帯剣や肩に担いだライフル銃に軽く手を当てたまま周囲に注意を向けている。

 僕らは比較的新しい車両に乗り込み、予め決まっていたであろう座席に座った。

 -

 僕と女は、ボックス席に向かい合わせに座って支給された弁当を食べている。鮭と煮物と白米だけの簡素な物だった。それを食べ終え、缶入りの緑茶を飲みながら、僕はぼんやりと車窓の外の風景を眺めていた。内陸部の退屈な、田畑や森林の多い風景。散在する人家や電信柱が目の前を飛び去って行く。

 広大な平野を走り抜け、列車はトンネルへ入った。窓硝子に映る自分の姿を見て驚いた。僕は詰め襟の制服を着ていた。さっきの駅に居た憲兵達と同じ軍だ。一体いつ着替えたのだろう。全く記憶にない。

「あなたはこれから、その服で過ごして貰います」

「ずっと?」

「はい、役目を終えるまではずっとです」

「その役目って何でしょうか?」

「・・・それは目的地に着いたら解ります」

「それまでは教えられないって事ですか?」

「まあ、そういう事になりますね。とにかくそれまではゆっくりしていて下さい」

 考えても無駄な気がしたので、僕は少し眠る事にした。

 -

 目を覚ますと車窓には、透明度の高い青々とした雲一つ無い空と、太陽光を反射する緑色の山々が遠くで大地を取り囲んでいた。そして上体をかがめて上空を見上げると、そこには驚くべき事に巨大な建造物が浮かんでいた。空を覆うようなその建造物は、銀色に輝く金属で造られた十二角形の立体に放射状に金色で装飾が施されている。そしてそれが、何本もの丸太のようなケーブルで地上に繋がれており、見廻せば、他にも同じような建造物が何基も空に浮かんでいた。音も無く、光を遮るのではなく反射しながら、今まで見た事もないような威圧感を持って浮かんでいた。

「あ・・・あれは?」

「あなたがこれから生きていく場所です」

「場所?」

「施設・・・のようなものでしょうか」

「よく解らない」

「あなたはあそこに住んで、働くのです」

「何の為に?」

「行けば解ります」

「またそれ」

「ええ、まあ」

 僕は驚きと共に、これから僕の身に起こるであろう事を考えてみようと試みたが、全く想像が出来なかった。何故僕が選ばれたのかもよく解らないし、一体何の為の施設なのかが判らない。この国のものなんだろうけれど、非常に軍事的なものであるように思える。とは言え自衛隊とは全く趣きが異なるので、もしかすると国民の殆どがその存在すら知らない国家機能が、今僕の目の前に在るという事なのかも知れない。

 一体何なのだろうか。昨晩の、一夜にして東京の街が燃えてしまった事と関係があるのだろうか。そして、何故僕なのだろうか。その後暫くの間、呆然としたまま、空に浮かぶ建造物を眺めていた僕は、列車の汽笛に呼び起こされた。

 ★

 という夢を、震災の半月前に見ていたのですよ。何の因果か知らないけれど。

深更

 冷んやりとして乾いた夜。隣人か、それとも別の人家であるか、テレビの音が聞こえてくる。垣根の下で猫の鳴く声がする。自転車に乗った女達の話し声が通り過ぎる。中国の言葉で誰かが携帯電話に話しかけている。近くの線路からはレールの軋む音。遠くに自動車の走る音。夜はこうして深まっていき、やがては全ての音が消え去る。私の今日はこうして死に絶え、明日への渇望を眠らせる。

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