DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Category: Hobby (page 3 of 16)

球形の宇宙

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 暫く前に NHK の日曜美術館で河井寛次郎の特集が放映された。その中で最近になって蒐集家の所蔵品の中から見つかった「鉄釉球体」(左上画像)という、これはもう陶器と呼んでも良いのかさえ判らない物が紹介されたが、何となく見覚えがあるような気がするのだ。しかしこの作品そのものを見た訳ではない。それは確実だと思う。では何だろうかと考え続けていたならば、ようやく思い出した。僕が保育園児だった頃に作っていた泥団子に似ているのだ。

 それはどういうものだったのかと言うと、朧気な記憶を辿るとそれは夏の雨の日。水を多分に含んで柔らかくなった花壇の土を掘り起こし、砂状の土の更に下、粘土状の土を一つかみ採取する。そしてそれをこねくり回し、手の平で丁寧に転がして球形にする。この作業が幼児にはなかなか難しく、丸める途中で力を入れすぎて形が崩れてしまったりするのだが、それでもどうにか自分が気に入るだけの形をした玉を作る事が出来たならば、今度はそれを敷地内の何処か、誰にも見つからない、しかも雨掛かりのない場所にそれを隠す。先生に見つかれば捨てろと言われるだろうし、他の園児に見つかれば持ち去られるか粉々に崩されてしまう。だから隠し場所に関してはとても慎重だった。花壇の周りの縁石の浮き上がった部分の下だとか、半分埋められた古タイヤの内側だとか、そういう場所が多かったと思う。
 後日、雨が上がって日がカンカンと照り始め、土が十分に乾いたタイミングを見計らって泥団子を乾いた砂の中に移す。(因みに、それまでの間は毎日泥団子の所在の確認はしている)砂粒は細かければ細かい程良い。形が崩れないように丁寧に、乾いた砂を塗していく。それからは、砂の中に貯蔵した泥団子を毎日掘り起こして確認するという作業を繰り返す。勿論誰にもその姿を見つからないように慎重に行動する。
 そしてここからがこの遊びの醍醐味なのだ(個人的には、である)が、泥団子は徐々に水分を失い表面の色を変化させて行くのだ。最初は濃褐色であるのが段々と濃淡がまばらに為っていき、それが毎日のように変化する。模様が斑点である時もあれば、木星のような縞模様である時もある。途中乾燥の為に玉にひび割れが出来たりした時には、唾や水道の水で丁寧に表面を撫でてひび割れを塞いだりしていた。そして段々と全体的に色が薄く変化していき、或る日水分が抜け切って白っぽくてカチカチに固まった玉が出来上がる。思えば、出来上がった玉の固さを競い合っていたように思う。根拠としてはそれだけの遊びであるので、最初は数人いたライバル達はすぐに飽きてしまい、途中からは僕一人で遊んでいた記憶がある。僕としては、最後にカチカチの玉が出来上がるのは勿論楽しかったが、それまでの過程も楽しかったのだ。河井寛次郎が作った鉄釉球体のように釉薬が織り成す艶やかな模様が出来る訳ではなかったが、不思議な模様が日々変化していくのを確かめるのは楽しかった。幼児がそこに一体何かを求めていたのかまるで想像がつかないが、唯々楽しかったのだろう。それは僕自身が創り上げた宝物であった。

 で、その出来上がった宝物をその後どうしたのかというと、全然憶えていない。宝物であったのは作っている最中だけだったのかも知れない。そしてついでに思い出したが、そのカチカチの玉を、その遊び自体も含め「コーテツ」と呼んでいた。「鋼鉄のように固いモノ」という意味だったのだろうと想像するが、幼児がそんな言葉を知っているかどうかはかなり怪しい気はする。

残酷と金魚

 幼少のころより、金魚になにかしらの感心を持った覚えがない。両親や弟たちが飼いはじめる事もなかったし、友人の家や病院に鎮座している水槽の中を泳いでいるのを、ごくたまに見かける程度であった。そして見たところで、小さめの金魚は可愛らしいと思えたが、デメキンなどの大きな金魚は身体がぶくぶく膨れているものが多く、薄気味悪いなぁと思っていただけであった。そんな風に、金魚を飼うなんてのは自分には縁遠いものだと考え、ずいぶんと大人になるまで一切接してこなかった。

 そして10年ほど前、人につれられて東京都は文京区本郷にある金魚坂に行ったことがある。サイトにあるように、元は金魚の卸業を営んでおり、副業としてレストランおよび喫茶店を経営しているようで、僕らは取りあえずお茶を飲み、一息吐いたところで卸部のスペースへ見物に行った。いくつもの生け簀に、売り物の金魚が種類ごとに何百匹かの単位で振り分けられていた。ひとしきり眺めたあとに外へ出ようとすると、入口近くに売り物ではなさそうな青絵の磁気鉢が置いてあった。覗きこむと、内側にもびっしりと描かれた青絵を背景に、わずかな水草が揺れるあいだを小さな金魚が三匹泳いでいて、僕は思わず息を呑んだ。
 それはとても美しい一枚の絵だったのだ。要素の全てが清涼で、鮮烈な色彩を放ちながらその絵は成立していた。そこで僕はようやく金魚を愛でるというのはどういう事なのか理解した。生き物を絵の中に閉じ込め、それを丸ごと生きた絵画として鑑賞するものだったのだ。(金魚坂のサイトにアクセスした際に、最初に表示されるフラッシュ画像に似たようなものが出てくる。僕がそのとき観た磁気鉢はもっと濃く鮮やかなものであったが)これはもう贅沢品どころの話ではない。残酷な嗜好品である。冷静に考えれば当たり前なのだが、鑑賞するために生物を生かすことの傲慢さが金魚の美しさをさらに際立たせているように思う。

 僕がそれまでに見ていた金魚の容れ物は、無粋な水槽か、せめてガラス製の金魚鉢であった。水槽は飼育のための装置であり、鑑賞するための器だとは思えない。かたや金魚鉢はいささかその趣きはあるが、湾曲したガラスを通して肥大化した金魚とにらめっこするのに向いているくらいのように思える。やはり鉢に容れて、上から眺め下ろすのが一番良いのではないだろうか。上では青絵の鉢を挙げたが、青滋でも白滋でも、藍や黒の釉薬を塗ったものでも何でも良いと思う。(武相荘には藍地の鉢が軒下に置いてあったと思う)僕もその飼い方なら金魚を欲しいと思うが、その他の飼い方ならやはり興味は持てない。

 しかし考えてみれば、金魚を飼育していれば水草や藻でだんだんと鉢の中が汚れてくるのではないか。そうなると、画布をキレイに保とうとするならちょくちょく掃除しなければならず、それはかなり大変な作業であるように思うし、もしかすると普段は飼育用の鉢で育て、鑑賞したい時に限って別な鉢に水草とともに移して、酒でも呑みながら眺め下ろすのが良いのではないだろうか。

中央線沿線を歩く(西荻窪〜吉祥寺)

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駅を通り過ぎて左側の商店街というか呑み屋街を抜ける。抜けるといきなり裏通り。

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なだらかな下り坂の後に上り坂。延々と高架上線路の脇を歩く。

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「生産緑地地区」なる立て札が掲げられているエリアが在った。

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微妙に古い造りの建物が在ったりする。

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敷地境界を物ともしない植物ども。

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武蔵野市との境界。

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シャッター降りてるけど、店舗面積広くて良さそうなパン屋。

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少し線路から離れる。木々が増え、閑静な雰囲気になってくる。吉祥寺女子高校とか。高校生のカップルが校門の近くで逢瀬を楽しんでいた。人家も多く、二階の窓からピアノの練習する音が聞こえてきたりする。

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道筋ではなかったけど、取りあえず鉄塔は撮る。昼間でも灯りの点く高架下の街灯。

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夜を待つ屋台車。

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十二分に整備された住宅地。

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この建物は何だっけな。個人的にはやり過ぎだと思う。再び線路に近づき、高架下のスーパーを眺める。

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その脇でうなだれる向日葵。

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線路を挟んで右を歩いたり左を歩いたり。

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そろそろ吉祥寺の街だ。

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到着。この日まで、この街を訪れたのは三回くらいしかなかったんだけど、これを書いてる今ではしょっちゅう来てる気がする、というか実際来てる。なので感慨深さなど微塵もない。

はてさて、中断時期も挟んで長々と続けた中央線沿線の旅は、取りあえずこれで終わり。偏見混じりだけど、これ以上は物質的に密度が薄くなりそうだし、先々の事を考えると止めるタイミングが掴み難いし、自宅から離れ過ぎてるし、色々とキリが無い。個人的にも整理する時期であるようなので、ここまで。

この散歩は2011年7月31日に歩いたものです。

中央線沿線を歩く(荻窪〜西荻窪)

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線路沿いの歩道が続く。足を踏み入れてはいないが商店街の入り口のアーチ。

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測量設計会社の古いビル。昭和の香りが色濃い。

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これは何だっけな。骨董品屋かな。

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右側の塀に囲まれた敷地、地図にも載ってないからよく判らないのだけれど、JRの敷地なのかな。

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そのまま進んでもつまらなさそうなので、実は後戻りして線路の右側に出た。荻寺光明院の入り口。中に入れるようなので門を潜るとたくさんの地蔵像が。

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境内と線路の間は近隣の人々の通行路になっているようだ。何人かとすれ違った。石像や小ぶりの石塔の半ばうち捨てられた感じが侘びしい。

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境内を抜けて一般道に出る。そして紆余曲折していると、殺伐としていたり閑静だったり、色々な表情がある。

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再び線路を越える。この辺りから樹木が巨大化してくる。

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と思っていたら、駅が近いのだろう、人家ではなくビルが増えてきた。

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西荻窪駅に到着。

この散歩は2011年7月31日に歩いたものです。

中央線沿線を歩く(阿佐ヶ谷〜荻窪)後編

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今度は北へ進んで線路を越える。こちら側も大凡は住宅地で、良い感じに草臥れた人家が在ったり、ギンガムチェックの前掛けをした地蔵像が在ったり、不思議な体色をした象が居る公園が在ったりした。

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線路に近づいて行く道。並んだ自販機の横にビール箱が重ねてあるのが良い風情。

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一度近づいた道は再び線路から離れていく。線路から離れないように意識しつつ歩いていると、何だかクネクネしてしまって、気がつけば都道四号線に辿り着いた。

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複雑なクランクを回り、都道を渡る。

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今度は都道の裏道的な道を歩いた。すると左方に面白そうな建物が見えたので、軌道から逸れてそちらへ進んでみると、どうやらレトロなデザインを売りにしたホテル、というか旅館のようだ。

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元の道に戻り、線路沿いの道を歩き、ようやく荻窪駅の到着。

この散歩は2010年8月14日に歩いたものです。

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