DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Category: Hobby (page 10 of 16)

絵馬

 先のの週末に明治神宮に参った。というか、表参道と新宿に用事があったのでその通り道として南参道から北参道へと抜けるだけのつもりが、つい御社殿へ足を向けてしまったのである。何やら今年は御社殿復興50年記念とかで鳥居の前にも提灯が釣られ、それをまるで壁のように並べていた。その物々しさに胸騒ぎを覚え僕はずんずんと参道を歩いた。まあでも、その日に何か催しがある訳でもないので参道に於ける様子はいつもと変わらない。外国人と日本人の比率は大体半々で、参道に両側から覆い被さる木々の枝々に遮られた陽射しが島を造るように地面に落ちていた。僕の少し前を歩いていた若い白人のカップル。女の長くうねった金髪に木漏れ陽が当てられ、その彫刻的な造形が一際目立っていた。

 御社殿に辿り着き辺りを一頻り眺めた後、何となしに絵馬が掛けられてている一角へ行った。これまで絵馬に興味を持った事は無かったのだけれど、ムカエマを思いだし少し眺めてみる事にした。因みに其処にも札が立てられていて「絵馬」の由来が書いてあった。

 奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ、じんめ)を奉納していたことが記されている。しかし、馬は高価でなかなか献納できず、また、献納された寺社の側でも馬の世話をするのが大変である。そのため、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、平安時代から板に描いた馬の絵で代えられるようになった。Wikipedia

 余所で絵馬に注意を向けた事がないので比較するのが難しいのだが、此処に掛けられている絵馬は本当に多彩である。そもそもが日本語で書かれた絵馬は全体の半分くらいしかない。韓国語・中国語・英語・仏語・その他僕にはよく解らないがアラビア語だかペルシャ語のように見える言語で書かれた絵馬が数多く掛けられていた。観光に来たついてに「ノリ」で書いて行ったのだろう。一体何を書いているのか気になるところだが読めないものは仕方がない。英語なら少しは解るが面倒なので読まない。で、日本語で書かれた絵馬ばかりを読み進めていたのだが、結構皆さん真面目な事を書いてらっしゃる。中にはかなり切実な想いを書いている絵馬もあって、読んでいる僕の方が神妙な心持ちになったりしていた。さ、そんな中にもムカエマとは言わないけれど面白い絵馬はやはり在るようだ。

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 正確な意味でのムカエマを見つける事は出来なかったのだが、誰彼が書いた絵馬を見るというのはかなり面白かった。「今年中に世界一幸せな結婚をしたい」とか在ったが傍若無人度が今一つ。そう言えば、絵馬を読んでいる人というのは結構居て、その中の1/3くらいは写真に撮っている。大概は外国人なので、僕と同じような気構えで撮っているのかはかなり怪しい、というか居ない気がする。

山手線沿線を歩く(田町〜浜松町)

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 線路沿いに道が無いので迂回する。右上の写真の建物、手前の壁は幅1mくらいしかないのだが、端の部屋は一体何に使われているのだろうか。何の建物なのか確認するのを忘れてしまった。頭上をモノレールが走る。そして狭い水路を渡り、その一角は船舶が碇を降ろしていた。

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 頭上のモノレール路線をなぞるように歩く。途中に在った公園で一休み。水を呑みながら汗が引くのを待つ。その間一体何本のモノレールが走り過ぎただろうか。その光景は物珍しくて飽きずに眺めていた。

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 東芝の敷地内に在る舗道状公開空地を歩く。水路と首都高速都心環状線の手前から階段を登り遊歩道となる。旧芝離宮恩寵公園を右に見遣りながら、そのまま浜松町駅の駅ビルへ。この区間は歩いていて楽しかった。水路とモノレールが交差する空間が妙に期待感を持たせるのだ。

荷風参り

 先日新橋界隈でLSTY氏と呑んだ際に「永井荷風は吉原は浄閑寺に葬られる事を望んでいた」という話を聞いたので少し調べてみたら、確かに荷風はそう望んでいたらしいのだが実際には荷風が父の眠る雑司ヶ谷霊園に墓は在るらしくて、浄閑寺には谷崎潤一郎ら42名が荷風を偲んで詩碑を建てたという事のようである。さっそく次の日に尋ねてみた。
 その日は秋分の日つまり彼岸の中日で、JR大塚駅から乗り換えた都電荒川線車両内は供花を手にした客で一杯だった。雑司ヶ谷駅の小ささと地味さに感心しつつ霊園に入る。これまで谷中や青山の霊園に足を踏み入れた事はあるが、何処も似たような雰囲気である。荷風の墓が霊園の何処に在るのか前もって調べておいたので直ぐに見つかるかと思いきやなかなか見つからない。先に小泉八雲や荷風の日記によく登場する成島柳北の墓を見つけてしまったので、取り敢えず墓石に手を合わせ荷風の墓を更に探す。ようやく見つけた荷風の墓は、実は調べておいた区画の隣の区画であって、三方を生け垣に囲まれ、父の隣に、父よりも大きな墓石に葬られていた。初めは花を持参しようかとも考えていたのだけれど、どう考えても荷風翁はそんな行為を嫌がる気がしてならないので僕は止めておいたのだが、供えられてから数日を経ているであろう花が飾られていた。僕は墓石の前に跪いて手を合わせ、それだけやれば気が済んだので霊園を後にする事にした。

 それから僕は浄閑寺に向かうべく三ノ輪橋行きの荒川線に乗った。ご存じのように都電荒川線は大変狭い路線敷地内をガトゴトと走っている。場所によっては手を伸ばせば両脇の民家の届きそうなところも在る。そう言えば江ノ島電鉄にも同じ様な箇所が在り、僕はそういう状況がとても好きだ。

 終点の三ノ輪橋駅を降り浄閑寺を探す。これも直ぐには辿り着かなかったのだが、途中で地図を片手に何やら探している老夫婦を見かけ、これはきっと荷風碑を尋ねてきたのに違いないと思い付いていく事にした。果たして僕はまんまと浄閑寺に辿り着き、荷風碑を探し始めた。どうにも境内には無さそうなので霊園に入ると、そこはもう墓石の展示即売会場かと思ってしまう程に墓がぎっしりと並んでいた。敷地などという概念はなくただ墓石が建ち並んでいるという感じ。こんな雰囲気の場所の一体何処に詩碑が在るのだろうと思いながら探していると、本堂の裏側、新吉原総霊塔の正面に在った。壁の御影石に彫られた偏奇館吟草の詩を読んでいると、先ほどの老夫婦がやって来た。
 僕は彼らに譲ろうと碑から離れた。最近特に思う。老人は老い先短く機会が少ないのだから、鉢合わせてしまった場合には出来るだけ譲らなければならない気がする。それから僕は境内で暫く過ごし、その内に先ほどの老夫婦が出て来たので僕は改めて荷風碑に戻った。詩碑を十分に眺め、それから僕は向い側の新吉原総霊塔に手を合わせた。この場所では一番多く花が供えられていた。壁に埋め込まれたこれまた御影石には花又花酔の川柳「生まれては苦界、死しては浄閑寺」の文字を眺めていると、二人の老女が花と水桶を手にやって来て霊塔を清め始めた。何となく、其処に居てはいけないような気がしてきて慌てて僕は立ち去った。名残惜しい気はしたがまた来れば良いのだと思って。そもそも何故名残惜しく感じるのかはよく解らないのだけれど。

山手線沿線を歩く(品川〜田町)

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 少しやり方を改める事にした。道程を出来るだけ明確にし写真も出来るだけ撮る事にした。僕の印象に残っている場面を私感のみで書いていても移動している感覚が全く出ないので、それが面白味に欠ける気がしたのだ。しかし出来るだけ写真を撮るというのが案外難しくて苦労した。普段の僕は目に付いた対象物を目的も無く前後の脈絡も関係無しに、ただひたすらに引いたり寄ったりしながら撮るという姿勢が身についてしまっているせいで、目的に準じた記録をするという行為の感覚が掴み難いのである。それでも何とかやってみたのだけれど、どうやらやたらと長い割には文章が少ないエントリが出来上がりそうである。

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 左上は品川駅前の歩道橋の上から撮った写真。港南口にビル群がそびえ立つ。線路に沿って走る第1京浜(国道15号)を歩きながら右手のビルの隙間からJRの車両が垣間見える。アスファルトと金属とコンクリートしか存在しないような空間を延々と歩いていると殺伐とした気分になってくる。たまに出現する街路樹に絡まる雑多な植物をついつい撮りたくなるというものだ。

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 高輪大木戸跡(高輪2丁目19番)。江戸時代中期の産業交通土木とある。「江戸の南の入口として(中略)旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた」こういう戒厳令的な規制によって江戸は守られていたのだな。

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 第1京浜沿いは何処まで歩いてもこのような風景が続く。左下は笹川記念会館の前に建つ笹川良一の像。そして右下の写真のビルに何だかもの凄い威圧感を感じて、一体何処の会社のビルなのか気になったので見てみたら住友不動産であった。

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 札の辻橋。1933年に建造され、2004年に改築された橋。左下の写真は橋の上から路線敷地内を見下ろしたもの。線路脇の雑草の茂り具合が地方の路線を見るようである。都会の真ん中にそれが在るというのがこれまた良い。

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 田町駅の南側。東京工業大学付属工業高校と芝浦小学校に挟まれた場所に位置する。右下は反対の北側の入口。駅全体が把握出来ないしとても判りにくい施設だ。

山手線沿線を歩く(大崎〜品川)

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 左上: 山手通りの目黒川上の橋からの山手線・横須賀線の眺め。この川より先は品川区になるのだが、暫くは車道らしい車道は無く、非常に判りにくい道を歩く事になる。

 右上: 橋を渡るとなだらかな坂が登っていくので暫く歩き進むと脇道があり、良さそうな雰囲気なので入ってみる。どうやらこの先は古くから在る住宅地で道は先細り曲がりくねっている。どう考えても行き止まりになる事は目に見えているのだが、僕はわざと足を進めた。すると案の定前方から自転車に乗ってやってきた50歳くらいの女性に、わざわざ自転車を降りて不審そうな目で見ながら「この先は家しかありませんよ」と言われた。そりゃあ明らかに部外者に見える人間が、公道とは言えほぼ私有地のような感覚でいる場所に入ってきたら嫌だろうなと思う。

 右上: 原美術館。来た事がなかったのでただの記念写真。

 右下: 八ツ山通りを越え、確か品川区と港区の境目辺りにY字路があったので撮る。細長い敷地の端に、街灯と案内板とカーブミラーと交通標識がごちゃっと立てられている様が良い。こういう光景は日が暮れてからが見物である。

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品川駅: 此処に辿り着くまでに高輪の高級住宅地を通ったはずなのだけれど一枚も撮っていない。何故だろうか。記憶を辿れば、結構住人の出入りが多かったような気もするからそのせいかな。

 さて、写真のストックも尽きた。思えば品川に辿り着いたのはもう半年も前の話だ。その頃は毎週とは言わないまでも各週くらいで集中して歩いていたので、写真が溜まって記事にするのが間に合わなくなってしまったので止めておいたのだった。こういうのは逐一記事にしていかないと写真に写っている物以外の事は、よほど印象深い事でもなければ忘れてしまっている場合が多い。外を歩きやすい季節になってきた事だし、そろそろ再開しなければ。

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