その昔、僕は日本語で歌われる曲を聴くのが嫌で、いわゆる洋楽やジャズ、クラシック、ワールド・ミュージックばかりを聴いていたのだけれど、就職の為に上京し、毎日の勤めの中で、事務所内で同僚が好んでかける邦楽を否応なしに耳する事になる。勿論嫌だったが文句を言う訳にもいかず、聴こえてくる日本語をどうにか聞き流す日々であった。しかしそんな毎日を過ごしている間に Flying Kids というファンク・バンドが気になり「あ、日本のバンドも結構良いかも」などと偉そうな事を考え始め、とうとう ” 続いてゆくのかな ” という 1st アルバムを買った。そしてそのアルバムの内ジャケットにレイアウトされた文章を読んで、僕はこのバンドが大好きになったのであった。以下にそれを敢えて画像で記す。文字の組み方は CD ジャケットに載っていた形そのままに、フォントとエフェクトは何故か銀色夏生風に。
このアルバムの発売は1990年。しかし僕が実際に聴いたのは次の年くらいか。そしてその3年後に岡崎京子の ” リバーズ・エッジ ” が発売された。これも僕は随分と遅れて読んだ。作中ではウィリアム・ギブスンの詩が引用され、その最後の行に「平坦な戦場で/僕らが生き延びること」という言葉があり、その言葉はいつの間にか一人歩きし初めて、1990年代社会に生きる人々の指針となるべき言葉のように彼方此方で書かれていた気がする。巻末のあとがきにはこう在る。
あらかじめ失われた子供達。すでに何もかも持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供達。無力な王子と王女。深みのない、のっぺりとした書き割りのような戦場。彼ら(彼女ら)は別に何かのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠の中なかにたたずみ続けるだけだ。
しかしそれから10年が経った頃には、人々は延々とくり返す同じ様な毎日に飽き果て、しかもそのままずっとくり返して生きていける訳ではない事にも気づいたところから、やおらドラマを求め始めたように見える。
僕自身の事を言えば、通常の僕は社会の風潮に対して10年ほど遅れて生きているので、ようやく今頃になってくり返す事に限界を感じてきたところである。出来る限りの力を出し切り、知恵を絞って、この続いてゆく生活を続けていかなければならないのは変わらない事として、全く同じ轍を踏むのではなく、ほんの少しでも目新しき時間を手に入れるにはどうしたら良いのだろうか。なんて事を今更考えている。
Recent Comments