DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Category: People (page 8 of 16)

諦めの上に成立する未来のその後

 その昔、僕は日本語で歌われる曲を聴くのが嫌で、いわゆる洋楽やジャズ、クラシック、ワールド・ミュージックばかりを聴いていたのだけれど、就職の為に上京し、毎日の勤めの中で、事務所内で同僚が好んでかける邦楽を否応なしに耳する事になる。勿論嫌だったが文句を言う訳にもいかず、聴こえてくる日本語をどうにか聞き流す日々であった。しかしそんな毎日を過ごしている間に Flying Kids というファンク・バンドが気になり「あ、日本のバンドも結構良いかも」などと偉そうな事を考え始め、とうとう ” 続いてゆくのかな ” という 1st アルバムを買った。そしてそのアルバムの内ジャケットにレイアウトされた文章を読んで、僕はこのバンドが大好きになったのであった。以下にそれを敢えて画像で記す。文字の組み方は CD ジャケットに載っていた形そのままに、フォントとエフェクトは何故か銀色夏生風に。

people_20090125

 このアルバムの発売は1990年。しかし僕が実際に聴いたのは次の年くらいか。そしてその3年後に岡崎京子の ” リバーズ・エッジ ” が発売された。これも僕は随分と遅れて読んだ。作中ではウィリアム・ギブスンの詩が引用され、その最後の行に「平坦な戦場で/僕らが生き延びること」という言葉があり、その言葉はいつの間にか一人歩きし初めて、1990年代社会に生きる人々の指針となるべき言葉のように彼方此方で書かれていた気がする。巻末のあとがきにはこう在る。

 あらかじめ失われた子供達。すでに何もかも持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供達。無力な王子と王女。深みのない、のっぺりとした書き割りのような戦場。彼ら(彼女ら)は別に何かのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠の中なかにたたずみ続けるだけだ。

しかしそれから10年が経った頃には、人々は延々とくり返す同じ様な毎日に飽き果て、しかもそのままずっとくり返して生きていける訳ではない事にも気づいたところから、やおらドラマを求め始めたように見える。

 僕自身の事を言えば、通常の僕は社会の風潮に対して10年ほど遅れて生きているので、ようやく今頃になってくり返す事に限界を感じてきたところである。出来る限りの力を出し切り、知恵を絞って、この続いてゆく生活を続けていかなければならないのは変わらない事として、全く同じ轍を踏むのではなく、ほんの少しでも目新しき時間を手に入れるにはどうしたら良いのだろうか。なんて事を今更考えている。

冬の好きなところ

 本当に毎朝が辛い。何故こんな寒さに打ち震えながら過ごさなければならないのだ。気温が摂氏二十度より下がれば寒いと感じる僕にはこの時期は絶望の季節である。しかし日本国には四季というものが在り、つまりは冬という季節は避けがたい環境であって南国にでも移住しない限りは死ぬまで付いて回るものなのだ。やれん。実にやれん。しかしながらそんな僕にも、冬に存在する好きなものは在る。慰めにそれらを羅列してみようと思う。

  • クリスマスの飾り付け。
  • 教会で歌われる厳かなミサ曲と祈り。
  • 真夜中の拍子木の音。
  • ヴィヴァルディ「四季・冬」・ユニコーン「雪が降る町」
  • 年の暮れの雰囲気。
    年が明け正月になってしまえばどうにも白けてしまうのだが、年末の慌ただしくも暮れの休暇に向けて逃亡を図るような解放に向けて直走るような空気が好きである。
  • NHK番組「ゆく年くる年」・フジレテビ「爆笑ヒットパレード」・全国各地のお正月風景番組。
  • 注連縄飾り。
  • 舞い落ちる雪。降り積もった雪の上の足跡。
  • ストーブの石油の焼ける匂い。
    不快な匂いには違いないが、実際と記憶の両方から暖かさを感じるので好きだ。でも今はストーブは無い。
  • 陽当たりの良い暖かな部屋で過ごす時間。結露した窓ガラス。
  • 湯船に浸かった時の安堵感。寝床に入った時の安堵感。
  • 暖かな電車やバスの中。そこで読む本。
  • マフラー・セーター・ニット帽・ダッフルコート。
  • マフラーを巻いた女性。
  • コートの下にノースリーブでハイネックのセーターを着た女性。
    なかなかお目にかかれないが、かなりクる。
  • 握った手の平の暖かさ。
  • 鍋料理・おでん・雑煮。
  • ラーメン・うどん・蕎麦。
  • 熱燗・焼酎のお湯割り・ホットウイスキー・ホットラム。

意外にも挙げ始めたら色々出てくる。もしかしたら僕は寒さだけが嫌いなのか。

緒川たまき、再び。

 僕の中で緒川たまきブームが再燃。ブームったってここ数日の話だが。先日時効警察の第三話を観ていて段々とまた気になってきて Youtube その他で色々を漁ってみたのだった。以下に羅列する。

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文學ト云フ事 1994年にフジテレビで放映された番組

「蓼喰う虫」谷崎潤一郎

「箱男」安部公房

「斜陽」太宰治

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i・z 1997年頃のインタビュー番組

前編

後編

土曜ソリトン B-SIDE 1995〜1996年にNHKで放映された番組

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番組オープニング

コーナーオープニングA

コーナーオープニングB

コーナーオープニングC

 物凄く90年代な雰囲気である。80年代のよりもやはりこっちの方が好きだな。80年代の雰囲気にはどうやっても乗れない。番組名には微かに覚えがあるが、当時は緒川たまきを知らないし高野寛には興味がなかったので観なかったのだろう。しかしオープニングだけではなく番組を全部観てみたいなと思って更に探したら一回分だけ在った。それはYMOの特集回であった。再生リストとして組まれていないので、youtube サイトの右側の関連動画リストに表示された続編を適宜観られたし。

 その他に、インタビュー記事などを彼方此方読み漁っていたのだが、この人の持つ趣味嗜好も何だか良いなあ。

好ましき髪型

 僕自身の髪型の話ではない。女性の髪型の話である。予てから僕は「好みの女性タイプは?」という類の質問にはいつも上手く答えられない。こういう質問というのは主立った容貌や性格的傾向を訊いているのだろうけど、人間を構成する要素は多種多様であるしその組み合わせとなればこれはもう無数である。勿論僕にも好みの傾向というものは在るので、その幾要素かを辿る事は出来るのだが、そうしている内に段々と訳が判らなくなるものである。最高値の組み合わせを決定するなんて事は、これはもう一生を掛けての課題であるから、おいそれとは答えられないのは当然だと僕は思っているのだが、恐らく質問者はそこまでは求めていない。それは解っているのだけれどテキトーに答える事が出来ないのだな、僕は。

 さてそんな中、これだけは発表しても差し支えないのではないだろうかと思えるのが女性の髪型である。最近ようやく自分の好みが判ってきた。これにしたって元々は「似合ってれば何でも良いな」くらいの認識しかなかったのだけれど、と或る髪型の女性を見かけると必ず目に留まり、それ以外の要素を確認しようとうろちょろとしてしまう自分に気がついたので、これはもう決定しても良いのではないかと思い記念に此処に記すのである。
 んで、その髪型とは真ん中分けのボブである。リンク先に拠れば「ワンレングス ボブ」というらしい。その魅力を試しに書いてみれば「細く滑らかな髪質の特徴を十分に生かしつつ軽快で華奢な雰囲気を保ち、それでいて色の匂いを秘めている」とか解りにくい文章になってしまう。こういうのは観て触って嗅がないと解らない。

 因みに有名な人物で例えるなら、髪の毛を切った後の麻生久美子とか、ショートにする前の Megumi とか。特に Megumi のこの髪型にした時の横顔はとても美しい。

借り物の祝祭

 浅草サンバカーニバルの起源を辿れば、Wikipedia やその他の殆どのページには同じ記述が在る。

 浅草はかつて映画館や演芸など娯楽の一大中心地として名を馳せたが、昭和30~40年代にはすでに街の活気が下火になりつつあった。これを案じた当時の台東区長である内山榮一と浅草喜劇出身俳優の伴淳三郎の発案により1981年に初めて実施されたといわれる。

 1981年なんてついこの間の事だ。何故浅草にサンバカーニバルなのかという疑問は考えても意味がないだろう。この国はキリスト教の祝祭を平然と自国の祭り・イベントとしてやってのけるし、果てはキリストやモーゼやブッダの墓が在るとかないとかそんな事まで、街や地域の経済を興す為に作ったりするような国なのである。調べてみれば高円寺阿波おどりも同じ様な理由で始められたようだし、とにかく借り物のスタイルであれ何であれ、呼び物となりそうなものであればそれを催して金を落とさせる。全国何処でも大なり小なりやっている経済活動である。それは、全てとは言わないが元々この国の各地方に伝来する宗教的な祭りさえも含まれてしまう。浅草とサンバカーニバルを関連づける事柄があるとすれば、浅草が観光地で日常的に祭りを催しているようなもので観光客の扱いにも慣れているだろうし、昔から三社祭のような大祭を継続させるだけの素地がある土地なのだから、受け容れやすかったのだろうという事は考えられる。いずれにしても節操の無さを感じる事は否めないのであるが。

 さて僕が考えていたのは、何故この借り物の祭りが東京に根付き毎年盛んに行われているのかという事だ。この祭りはコンテスト形式であり、事前の審査を経た20チームがパレードに参加する。各チームが運営するサイトを読んでいると、大体がリオのカーニバルやサンバという音楽の愛好者達で構成されている。中には在日のブラジル人が指導している場合もある。チームを構成するのは学生から一般人果てはプロのミュージシャンまで様々であるが、その思いも様々であるようだ。この祭り全体を構成するのは、飽くまで経済的効果を期待する主催者と、サンバの愛好者と、祭り好きの観客。そう考えると非常に巧く組み合わさった現象であるように思える。しかしどうも腑に落ちないというか、動機が弱いというか、曖昧さが全体を覆ってしまうのである。ブラジルでのサンバ・カーニバルの成り立ちの様相と比べてしまうからだろうか。彼の国では宗教や社会的な貧困状態などからカーニバルの存在する意味やその熱狂の度合いが想像しやすい。でもこの国にはそんなものは存在しないのである。

 この国はどうしてこんなにも多くの祭りが存在するのだろうか。全国津々浦々、大なり小なりの祭りがひっきりなしに催されているし、地域の伝統や宗教的な解釈はまるで無視しされている。僕は何となく、近代化に伴ってハレとケの感覚が薄れ混乱してしまったが為に、無理矢理にその感覚を呼び戻そうとしているような気がしている。例えば、僕のような地方出身者が上京し新宿や渋谷・池袋などの繁華街に訪れてまず何を思うかと言えば「お祭りみたいだなあ」という感覚。地方の田舎に育てばこんなにも多くの人々を見るのは祭りの時くらいだからである。そんな風にして「毎日がお祭り」のような状況の中で暮らしていたら、古来の祭りの規模や日常と変わらないテンションで行われる祭事ではハレ(非日常)を感じる事は出来ないだろう。そこで必要となるのは目新しさや異質さで、それを満たす手っ取り早い方法が外来の祭事を輸入する事だったのではないかと僕は思う。

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