DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Category: People (page 13 of 16)

業火

 社会人となって十数年、職場で色々な人と接してきた。時々思うのは、同じ共同体内で上司や先輩の悪い部分を、それはもう見事に後輩が受け継いでいるのは何故だろうという事。自分が同じ事をされて嫌だったろうに、何故かしらそっくりそのままの事を目下の人間に対して遂行しているのである。不思議だ。その昔に何処かで読んだ軍隊を例に出した加虐のメカニズムを思い出す。

 僕自身はそんな事をしているつもりはさらさらないのだが、気付いていないだけで実は同じような事をしているのかも知れない。そしてこれは何も仕事上の共同体だけの話ではなく、勿論家族という共同体の中でも見受けられると思う。現代の東京などでは有り得ない父権の強い家庭であるとか、男尊女卑の影が色濃く残っている家庭だとか、そんな家庭に育った人間は現代社会に於いてもその名残りを引きずっている。かく言う僕は明らかにそういう価値観の元に育っている。
 思春期を迎えた頃から僕はそういう価値観が嫌いであったので、出来るだけそれに逆らうような形で生活してきた。でも実際のところ、他人の目に僕がどう映っているのかは判らない。たまに自分の行動した事を後から思い返せば、父のかつての行動が思い起こされたりするので、何かしらを引き継いでいるとは思う。業を引き継ぐ、もしくは継承するというのはこういう事だろうか。

 少し話は逸れたが、こんな事を考えていると、人の世というものは日々ロクでもない方向に進んでいるような気がしてならないのだけれど、想像するよりも多少はまともな社会生活が営まれているように見えるという事は、業の継承とは別な流れが引き継がれているのだろうか。

蛮行伝

 僕は平日はいつも同じ時刻の電車に乗っている。通勤快速も止まる駅なのにわざわざ普通電車に乗っている。通勤快速は基本的に鮨詰めの状態なので乗りたくないし、普通電車であってもいつも僕が乗っている時刻の前後の電車は人が多い。なのでその時刻の電車に乗らなければどうあっても嫌な目に遭うのである。
 そんな風にして何年もの間同じ電車に乗っていると、何年も前から見かける同じ顔というのも存在する。勿論人は動くものだし、何年かすればそこに居合わせる人々はすっかり入れ替わるのだけれど、1・2年は居たりするのだ。毎朝同じようなメンバーに囲まれて電車に揺られていれば、自然と「あ、この人は良い匂いがするからいつも隣に立とうかなー。」とか「あ、こいつは挙動不審だから嫌な目に遭わないように出来るだけ離れて立つ事にしよう。」などと思ってくるものである。

 例えば、僕と同年代であろう女性というか女が次の駅でいつも同じ車両に乗ってくるのだが、数年前の事、揺れる車両によろめいてその女の足を踏んだ事があった。その女は非難がましい目で僕を睨み付けながら「いったーい!」と殊更にデカい声で叫びやがった、その余りの反応に僕は素でムカついて「すみません。」と小声で謝った後は無視していた。
 その次の日から現在まで同じ車両に乗り合わせるのだが、時々見かける彼女は何というか自分の欲求のみに正直な人で、空いた座席やスペースを見つけるや否や、既に彼女の網膜にはそれしか写っていないらしく、他の乗客を蹴散らすような勢いで突進する。そして無事に領土を確保すると何事もなかったように鞄から本を取り出し読み始めるのである。しかしまあ、そんな事をするオバハンはよく居るので、大して気にしていなかった。
 しかし彼女の場合はそれだけではなかった。普段は本を読んでいるがたまにイヤフォンで音楽を聴いているのを見かける。ジャカスカと音漏れしていなければ普通の行為だ。何ら問題はない。ただ彼女は違った。一体何の音楽を聴いているのかなんて知りたくもないが、なんと彼女はヘッドバンギングを始めたのである。ラッシュ時の電車内で。固く目を閉じ、唇は真一文字で、長い髪の毛を振り乱しながら一心不乱に、ガンッガンに首を縦に振っていた。もうそうなると迷惑だとかそういう問題ではない。怖いのだ、その存在が。何だか見てはいけないものを見たような気もしてくる。

 明日も同じ車両に彼女が乗ってくるかと思うとドキドキする。何というか、彼女は余りにも不適切だ。

根性彫り

 昨日の夜はひどく疲れていたので、さっさと寝てしまおうと23時頃にはタオルケットを被っていたのだけれど、何故かしらふいに根性彫りの事を思い出してしまい、それからあれやこれやと思い出していたら眠れなくなってしまった。

 田舎の中学生だった僕の周りには、所謂「ヤンな人達」が結構居て(というか元々保育園からの同級生なのだけれど)、彼等の間で「根性彫り」が流行っていたのだ。僕自身はその頃から非常に中途半端な精神性を持った子供で、真面目に勉強する事もなければ「ヤンな人」にもなれなかった。しかしその周辺には居たので自然感化される事になった訳である。つまり、僕も根性彫りをやった事があるような気がする。恐らく。というのも記憶が曖昧だからである。昨夜の回想の中では僕の左手首に刻まれた文字のような疵まで思い出せたので、恐らく間違いはないと思うのだけれど、僕は自分の記憶に夢が混ざっているフシがあるような人間なので確信が持てないのだ。

 さて、根性彫りとは一般的に「好きな人の名前を自分の身体に刻む。」という、言ってみれば「どれだけ相手に惚れ込んでいるか?」という事を目に見える形で証明する行為であるようなのだが、僕の周辺で行われていたのはそれとはかなり違い「好きな人の名前を自分の身体に彫って、それを誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら、その恋は成就する。」という、何というか・・・やってる事は大差ないのに、その意味合いが一般的な根性彫りに比べると一途で一本槍な感じがあっさりと崩れ去り、幼稚な部分だけが残ってしまったという非情に恥ずかしい行為であった。さすが中学生、おしなべて馬鹿である。
 そして根性彫りというのは、どちらかと言えば女の子がやる行為(海外では好きな女の名前を入れ墨にする男は結構居るようではあるが)であるようで、僕の周辺で流行っていた行為も、その意味合いからしてどう考えても女の子用に考案された遊びに思える。では何故僕がそんな事をしたのか。その時の事情を全く覚えていないので想像するしかないのだけれど、たぶん「乗せられた」のだろう。僕は昔っから誰かを好きになると、その行動全てにそれが現れるらしくて、長くは経たない内に周囲の人全てが知るところとなる。そんなあからさまな行動をとる僕はよく女の子達にからかわれていたのである。

 そんな風にして僕は好きな女の子の名前を自分の左手首に彫る事になったのだが、その後の処理がこれまた甘酸っぱい。上に書いたように「誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら」という条件が在るので、何かしらで彫った名前を隠蔽する事になる。どうやって隠すか。それは絆創膏がその役目を果たしていた。しかも目立たない事を前提にデザインされた肌色の物ではなく、そこはさすがに女子中学生、キャラクター物の絆創膏なのである。他の人の事は覚えていないが、僕が貼っていたのはスヌーピーがプリントされた水色の絆創膏であった。勿論自分でそんな物を買う訳もなく、友達の女の子に予め貰って貼っていたのである。
 スヌーピーの絆創膏って・・・。もう言葉もない。恐らく女の子から何かしら貰う、という事が嬉しくて仕方がなかったのだろう。今思えば中学2年くらいまでは、毎日そんな事ばかり思って過ごしていた気がする。

 ★

 さて、此処までは前フリである。昨夜思い出していた中でどうしても気になった事があって、それがこの話のメインなのだが、それは何かというと、僕が左手首に彫った名前の持ち主が一体誰なのか全く思い出せない事である。実はそれが思い出せないが為に眠れなくなったのだ。その当時、中学生の頃の前半くらい、該当する女の子は二人居るがそのどちらなのかが判らない。
 根性彫りと言うのならば、一生残る疵を自らに与えるのだろうけれど、根性も思想も何もなかった僕は、安全ピンを使ってナノ単位で薄く自分の皮膚を削っていたので、間もなく彫った名前は消えてしまった。そんな事を考えていると、もしかしたら僕の根性彫りは夢の中での出来事ではなかったのだろうかと思ってしまう。あり得るだけに確信が持てない。

 本気で根性彫りをする人を何となく羨ましく思う。昨夜は、酒の酔いに任せて久しぶりに彫ってみようかとも考えたが、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまった。今僕は、それを馬鹿馬鹿しく思わない精神性を眩しく感じるのだ。何故だろうか。たぶん、退屈なのだ。

蚊取り線香

 我が家では未だに夏が来ると蚊取り線香を焚く。勿論あの鬱陶しい藪っ蚊吸血鬼の飛来を妨げる為なのであるが、その本来の機能以外にも、僕の場合はあの蚊取り線香の香りを嗅ぐと何だか気分が落ち着くので、今日は雨が降っているし気温が低いから必要ないかなあと思っていても焚く。香りを楽しむ為の物ではないので、人に快をもたらす匂いではないとは思うのだけれど、何だか良いのである。だから恐らく、夏の間の僕は蚊取り線香臭いと思う。

 因みに僕は、実家で使用していたという事もあって、昔っから大日本除虫菊株式会社の「金鳥」ブランドを使っている。これがアース製薬の物だと、何処かしらしっくりこないし、マット状の電気式の物なんて「こんな甘い匂いで蚊が撃退出来るのだろうか。」とその機能さえも疑ってしまうくらいである。
 どうも僕は味とか匂いというものに対しては非情に保守的で、原体験で受け容れたもの以外はなかなか受容出来ないようである。あいや、よくよく考えたら僕は色んな局面に対して保守的な気がする。未知の可能性を夢見るよりも、慣れ親しんだものを慈しむ方が性に合っているようだ。

 少し話はずれるが、蚊取り線香に限らず、窓を開け放たれた部屋に香の匂いが漂っているという状況が、僕は好きであるようだ。

人生なんて所詮死ぬまでの暇潰し

 随分前に、こんな台詞を友人だか知人だか誰だかにほざいた記憶がある。どう考えても誰かの受け売りなのだが、それが誰の言葉だったのかが思い出せない。しかしそんな事は日常に流され一瞬のうちに忘れ去ってしまい、ごく稀に思い出してはやはり思い出せないのでまた忘れてしまう。そういう風にして年月は経って行くのだけれど、ここの所、彼方此方で読み漁っている中にこの台詞が度々登場するので久しぶりに思い出した。

 まずは実相寺昭雄。吉原特集の「東京人」で氏の追悼記事が載っていて、その中にはこうあった。

 「生きてるなんてことは、所詮死ぬまでのヒマつぶし」が、実相寺さんの生活信条であった。

 当時の僕が実相寺昭雄に興味を抱いていたとは思えないのだけどなあ、と思っていると、また別な記述に突き当たった。Wikipedia で「みうらじゅん」について読んでいたいたらこんな記述があった。

 グレート余生:「人生とは死ぬまでの暇つぶし」はみうらじゅんの言葉である。人は生れ落ちた時、余生が始まると説いており、その余生を有意義にするのがマイブームである。

 数々の造語を世に広めた人ではあるが、1937年生まれの実相寺昭雄が生活信条にしていた言葉を、1958年生まれのみうらじゅんが造るかなあ、と僕はかなり疑っている。ついでに書くとリリー・フランキーの書いた短編の中にも出てくるのだが、これはみうらじゅん繋がりで出てきた言葉ではないだろうか。
 タイトルの言葉で検索すれば幾らかは出てくる。わりかし使われる言葉であるようだ。これだけ出てくるのならば、ずっと昔から伝わっている言葉ではあるような気がする。その元となるような記述を見つける事は出来なかったが、誰しもとは言わないけれど、結構人の口をついて出る言葉なのではないだろうか。

 ★

 それはさておき、上記の実相寺昭雄の追悼記事の中で、寺田農の書いた記事にこうあった。

 そしてそのことが、若い頃から好んで口にしていた「生きてるなんて事は、所詮死ぬまでのヒマつぶし」につながっていくのだろうし〜中略〜ましてやそれを口にする時には、自虐めいた嘯きでもなかったしかといって虚無的な思索にみちたものでもなく、ジッソー独特の、あのイッヒッヒという笑いのなかでの言葉だった。

 確かに僕がその言葉を口にした時も多分に自虐めいていたし、検索でヒットした記事にしても大体はそんなニュアンスを含んでいるものばかりだた。そんなものはやはり人生に対する愚痴でしかない。その言葉を己の生活信条とした実相寺昭雄の軽やかさには到底及ばない。例えるならば、真っ白な画用紙に、十二分に水を含んだ絵筆から色彩を落としていくように、そして落とした色が画用紙に滲んで色彩を広げていくのを楽しむように生きる事。それを目指す事こそ、この言葉の本意なのではないだろうか。

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