DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Category: People (page 2 of 16)

求めるもの

 昔、通っていた小学校隣の寺の参道の脇に当学校生徒目当ての駄菓子屋が在った。参道の砂利道から右へ逸れる石段が在り、その先に木板の壁の小さな家屋が建っていた。入口にはガラスがはめ込まれた木製格子の引き戸が在り、それを開けると狭い店内に様々な駄菓子が所狭しと並べてあって、その奥に店主である老婆が鎮座していた。右側には簡素で狭い座敷が設けられていて、そこで子供達が飲み食い出来るようになっていた。僕らはなけなしの小遣いを握りしめ、毎日のようにその店で買い食いをしていた。
 そして僕が高学年に上がった頃の或る夕方、僕は寺へ向かってその参道を歩いていた。恐らく友達と境内で遊ぶ約束でもしていたのであろう。すると、駄菓子屋へ登る石段の脇に転がっている大きな岩の上に小さな男の子が座っていた。制服を着ていたので(小学校に制服はなかった)、かつて僕も通っていた小学校の隣の保育園に通う子だと思う。その男の子は片手にジュースの瓶、もう片方の手には菓子パンを握ってた。身体の小さな幼児であるが故、それらを落とさないように手に「持つ」というより「握りしめている」という印象があった。そして彼は瓶の飲み口を自分の唇にあてがい、ごくごくとジュースを呷って飲み干した後に、大人が仕事後の最初の麦酒を一口飲んだ後に漏らす溜息のように「はぁ〜あ」と一息ついた。よほど美味しかったのだろう。念願の一本だったのだろう。彼はとても嬉しそうだった。
 その光景を見ていた僕は何とも言えない気分になった。切ないというか何というか、とにかく説明の出来ない感情に襲われたのである。当時はもちろんの事、今でもそれを巧く説明する事は出来ない。自分よりもずっと若年の存在であったから保護者的な気分になったのかも知れないと考えもしたが、当時は自分も保護を必要とする存在でしかなかったし、知らない子なので何の思い入れもない。何かしらの努力の末に望んだものを手に入れた物語に対する感動なのかとも考えたが、僕はそんな事情はまったく知らないし、当時の僕がそんな感覚を持っていたのかは甚だ怪しい。僕がその時に感じたソレが、一体何だったのか解らないままここまで来た。実に不思議な気分である。

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 それから20年後、或る夜僕は池袋のシェイキーズに居た。当時の恋人と一緒に遊んだ後、夜になってハラも減ったのでピザでも食べようとその店に入ったのだ。その時僕らの隣のテーブルに20代半ばと思しき太った女性が座っていて、ピザを美味しそうに頬張っていた。その姿を見た僕は、そこでまた溜まらない気分になってしまって、それ以降その女性の事が気になって仕方が無くなってしまった。彼女の満面の笑みや、ピザを口へと運ぶうやうやしい仕草を見て僕は、普段生活費がカツカツで週末に大好きなピザを食べるのを唯一の楽しみとして生きている人なのだろうか、とか。普段はダイエットに勤しんでいるがとうとう抑えきれずに食べに来たのだろうか、とか。結構失礼な事を考えていたと思う。しかしそれと同時に、向かいの席に座る恋人にその事を話す気持ちの余裕は微塵もなく、見てはいけないものを見てしまった、或いは決して邪魔をしてはいけない、そんな事を考えながら胸が締め付けられる思いに堪えていた。

 書けば何か解るかも知れないと思って書き始めたこの記事だが、やっぱりよく解らない。人間の希求に対する自分の反応の仕方なのかなとも考えたが、サンプルが少ないせいかどうにも腑に落ちないし、そんな曖昧な自分の感覚は信用ならない。相も変わらず、そういう自分自身に対する疑問を抱えながら生きて行くしかないのだろう。

老い

 体力が落ち、身体は言う事を聞かず、思い出せない事が多くなり、言われた事が耳に入らなくなる。そうして、それらの要因が重なる日々の生活の中で、自分で自分が信じられなくなるような過失を繰り返す。それを見咎めた子供らからは非難を浴び、小言を言われ続けるのはどういう気分だろうか。それでもやはり生き続けたいだろうか。死にたくなったりはしないのだろうか。老いの苦しみは自ら経験しないと解らないものだと考えていたが、間近に接していると伝わってくるものはある。

ただならぬ人

 一月ほど前の事。近所のスーパーへ食材を買いに行くと、どうにも見覚えのあるただならぬ雰囲気の男を店内で見かけた。短髪で、ハイネックの長袖のT シャツを着て、横の部分に派手な模様をあしらったジャージを穿いていた。そして背は高くはなく細身で、目がぎょろりとしている。僕は買い出しリストのメモを片手に陳列棚を彷徨いながら、あれは誰だったかと思い出そうとしていた。もちろん、そんな人が僕の事を覚えていてフレンドリーに声をかけられたりするのは是非とも避けたいので、エリアが被らないように目を配りつつ移動した。
 暫く経った後、朧気に思い出した。彼は僕の中学の時の先輩である。確か一学年上で、僕が一年の時に三年の恐い先輩達(友達の兄ちゃんだとか、小学生の頃に一緒に遊んでいた人達だったりするのだが)にくっついていたと思う。要は使い走りのような立ち位置だった。そして更に思い出したのは、僕らは彼を非常に怖れていたのだった。しかしそれが何故なのかが思い出せない。恐らく「あの人はこんな事をしでかしたらしいよ」という感じで噂に聞いたのだろうと思う。そういう噂は派手な尾ひれを付けて伝わるものだが、当時の僕らはその話をまるっきり信じ込んでいて闇雲に怖れていたような気がする。そして今の僕には、その怖れを抱いた経験のみが思い出され、その記憶を元に彼におののいている。まぁ、それだけではなく、彼の様相そのものがただならない雰囲気を持っているので、その雰囲気が故に尾ひれのついた噂が飛び回っていたのではないか、と今となっては考える。その「ただならない」感じをどう説明すれば良いのかとても難しいのだが、若い頃の鳥肌実をさらに爬虫類に近づけた感じと言えば想像出来るだろうか。
 それにしても、確実に老けてはいるが、彼が中学の頃とさほど変わらない様子である事に驚く。この30年以上の年月をどう生きて来たのか。何となく想像出来る気もするが、余り知りたくはないという気もする。

阿波おどりとセクシャリティ

 阿波おどりと言えば子供の頃から知ってはいるが、そういえばまともに見たことないなと思って暫く前に YouTube を漁っていた。東京に居た頃に何度か見かける事はあったのだけれど、それほど興味をそそられなくて通り過ぎる程度だった。では何故急に興味を持ち始めたのか。数ヶ月前の話だと思うのだけれど、きっかけが何だったのかすっかり忘れてしまった。
 それまでに持っていた阿波おどりのイメージは、二拍子で鳴らされる太鼓と鐘が踊り手を鼓舞し、踊り手は男女とも両手を前方上に突き出しながら割と激しく踊る祭り、という「いかに興味がなかったのか」が判るものだった。しかし動画をいろいろ観て回ってみれば、思いの外に性的なニュアンスの強い踊りであり、その部分に興味を抱いた。

 特徴が判りやすいかと思い、同じ撮影者の動画を並べてみた。阿波おどりにはたくさんの連(グループ)が参加しているそうだが、動画サイトにアップロードされるのは有名で大きな連であるのだろう。だいたい同じ名前の連の動画が列ぶ。前者が「さゝ連」で、後者が「阿呆連」。おそらくこの二つが最も有名なのではないだろうか。

 さてまず「さゝ連」。この連の踊りは非常に解りやすいというか、結構風刺的である。
 女踊りは編み笠を被り、法被を羽織り、長襦袢に下駄という格好であるが、腰にぴったりと貼り付いた長襦袢と、脚の動きに合わせて翻る裏地の赤が扇情的である。編み笠の後ろ側は大きく開いているので、髪をまとめ上げたうなじがこれみよがしの様子である。下駄にはかかとが有り、ハイヒールと同じくつま先立ちの姿勢と軽やかさを生み出す。腕を上げたままで踊るすがたも、何かしらの作用があるような気がする。そして女踊りの踊り手達は拡がったり、まとまったりしながら、後進の男踊りの踊り手達の目の前で華やかに、自分達の姿を見せつける。
 一方、男踊りの踊り手達は、どろぼうかぶりに、浴衣を纏い、草履履きで踊る。腰を落として背中を丸め、地を這うように、そろりそろりと忍ぶように進み、やけに横への動きが大きいその様子はとても下卑た印象を与える。そして滑稽である。
 役割というか、見栄と下心のせめぎ合いというか、あまり善とは言えない部分をそれぞれに強調されていて、面白い。

 つぎは「阿呆連」。格好には差はないが、こちらはそれほどあからさまではなく、前後の動きに勢いがあり、やっこ踊りがある。これまでに僕が見たやっこ踊りといえば、ひょっとこ面を被った男衆が凧役で、右へ左へと流され、それでもしっかりと糸で引っ張られている様子が滑稽な踊りであった。しかしこちらでは男女間でそれをやっているからか、滑稽な要素は見当たらず、情愛の駆け引きのように目に映る。それにお互いに囃し立て合い、挑発しているような場面もある。

 以上のように、土着的な性の捕らえ方と洗練が入り交じっていた様子が、とても興味深い。そして Wikipedia のページにあるように、最近では性別関係なく女踊りに参加する人が増え、男踊りに参加する女性もいるようなので、女踊り・男踊りの振り分けは性差ではなく役割分担のような形になっているようだ。
 阿波おどりの起源に関しては、徳島大学の論文に詳しい。(配布ページにはどうしても辿り着けず、PDF ファイルへ直リンク)

老人と子供

 以前に誰かがブログに書いていたのだけれど、学校は夏休みの時期にその筆者が電車に乗っていたら、年老いた女性が鉄道スタンプラリをーやっていて、そのスタンプ帖はどう見ても夏休みの小学生用のもので、訝しく思っていたそうだ。そしてその筆者は思い至った。小学生の孫が祖母にやらせているんじゃないかと。ならばその孫は許せん、とまで書いていた。そうかも知れないけど違うかも知れない。しかし仮にそうだと考えると、確かにふつふつと怒りがこみ上げてくる。そんな事を、この年末に我が家を訪れていた甥や姪と祖父母である僕の両親を眺めながら思い出した。

 甥が祖父母に向かってあれしろこれしろと命令するなんて事はないが、あれしてこれしてとは言う。これは自分の妹以外には誰に向かっても言うし、とくに気になる訳でもない。気になるのは祖父母である僕の両親の態度だ。相好を崩し、幼児言葉こそ話さないが口調を変え、事ある毎に孫達に構おうとする。その様子が余りに異様に思えるので正視に耐えない。嫌なら見なければ済む話ではあるが、そのまま放っておいて良いものか迷う。好き好んでやっているのだろうから結果として止めはしないが、どうしてあんなにもあからさまに孫にモテようとするのだろうか。老人とはそういうものなのだろうか。
 そういう事を考えていて、前述の話を思い出した。もしかするとあれは、年老いた女性が自分の孫にモテようと、自分から買って出た結果だったのではないだろうか。そう考えると、孫に対する怒りはふっと消えてしまうが、今度は逆にその女性が心配になってくる。年老いた身体で頻繁に電車を乗り降りするのは苦労するだろうに、そうまでしなきゃダメなのだろうか。そうまでして手に入れたいのは何なのだろうか。

 よく解らない。僕が単に、誰かが誰かに隷属している様子を見るのが嫌いなだけなのかも知れない。ついでに昔電車の中で見かけた、不遜な態度で母親に命令していた小学生の男の子の事を思い出したが、不快な気分になるので止めよう。ここ数日とても怒りっぽくなっているし。

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