DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Category: People (page 1 of 16)

散歩する少年

 僕は二三日毎に、昼食後にスーパーへ買い物に出かける習慣があるのだけれど、去年の秋頃から一人の少年と度々すれ違ったり見かけたりするようになった。年の頃は十代の半ば、いつも黒っぽいジャージの上下を着ている。しかしそれはまったく同じものを着ているという訳ではなさそうで、色の濃さやデザインが少し違っていたり、寒くなるとネックウォーマーをしたりして変化している。履いてるスニーカーが違う事もある。たぶん黒が好きなのだろう。
 で、そんな少年が、平日昼間の決まった時間帯に散歩をしている。堂々とした歩き方ではないし、溌剌ともしていない。楽しそうではないが、トボトボ歩いている訳でもない。歩く事自体が目的で歩いているが、彼自身が今ひとつしっくり来ていないという印象がある。学校には行っていないのだろう。土日には見かけない気がするので、人目は避けているのかも知れない。一時的な不登校なのか。長患いした後のリハビリ期間なのか。それでも、その少年からは悲壮感のようなものが伝わってこないのは、決まった時間帯に散歩をしているという安定感だろうか。彼の実情に想像は及ばないけれども、何かしらの目的があって歩いているのだろうから、きっと大丈夫だよね、と思える。
 と、こんな事を勝手に悪い方へ想像しているが、もしかしたらあの若さで既にプログラマーとして自活しており、一日中座りっ放しでは身体に悪いので、日に一度の散歩くらいはしておかないとな、と考えているのかも知れない。どちらかと言えばそうであって欲しいが、実際がどうであるかなんて傍目からではとんと判らない。しかし、若い人が独りぼっちで行動している姿は、どうにも気になってしまうのである。

人は変わったりしないのかも知れない。

 人は先天的にある性格的傾向を持って生まれてくる、と僕は考えている。そしてその傾向は、その人の人生と言って大袈裟なら生活に於いて、良くも悪くも働く。と僕は考える。

 とある人がその性格的傾向に因って、大なり小なりの対人的な不具合を若い時に感じるとする。本人が感じるくらいなので周囲の人々も重々そう感じていて、それがその人の一定の評価となる。これはその人の性格的傾向が悪い方向に働いた結果である。
 それから年月を経て、成長する過程で社会的に揉まれる内に、その人は己の性格的傾向が招く不具合を解消すべくバランスを取るようになる。周囲から度々非難されたりして当人も色々悩んでいる内に、徐々に獲得して行った処世術のようなものであるのだろう。そう考えると、これは人が変容したのではなく、それまで自分の裡になかった要素を重りのように付け加えて行って、それでヤジロベエのようにバランスを取っているだけのように思える。社会的にはそれで充分であるだろう。しかしこのバランスが崩れる時が、生活している中で往々にして訪れるものなのだ。
 例えば、深く酩酊した時や、病気や何かで自分自身を巧く扱えない時、年老いて自由が効かなくなった時もそうであるようだ。酩酊した場合は妙に開放的になった場合と、泥酔してどうにもならない状態になった時では状況は違うが、いずれの場合も出る。不自由な状態を強いられ余裕がなくなったり外的ストレスが感じられなくなると、幼少の頃には他者に対して通じたのであろう態度や方法で自分の欲求を果たそうとする。近年感じるのは、気心の知れた人達しか居ない空間でも外的ストレスが激減するようで、非常に子供じみた態度をとる人が居る。現実空間ではなかなかそういう状況にはならないが、クローズドなネット空間では顕著である気がする。何処であろうが相手が誰であろうが、歳を取ってくればある程度の社会性は維持するべきだしそのようなものだとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。全員がそうなる訳でもないが、中にはとんでもなく非常識な言動や行動を嬉々としてやらかす。この「嬉々として」というのが非常に厄介である。本人には何の悪気もなく、楽しそうに露悪的な態度を示すのだ。

 以上のような光景を目の当たりにすると、人というのは己の偏った欲求や底意地の悪さを根底に抱えつつ、身に付けた社会性でどうにか穏便に世間と関わりながらも、機会が在り次第己の残酷さを発揮しようと虎視眈々としながら生きているのではないかと思えてきて、少し絶望的な気分になる。そこに作為が在るという訳ではなく、自分では抑える事の出来ない、どうしようもない欲望を如何にすべきか知らないという点で。

或る日の電車内の光景

 ここ最近大学の時の友人に頼まれて、時折彼の工房へ手伝いに行っている。要はバイトだ。その際には彼の住む町まで私鉄の普通(関東で言う各駅停車)電車に乗って南下するのだが、今日は遠出をする予定だったのでいつもより一本早い電車に乗った。すると、いつもは殆ど見かけない高校生が座席を占拠するようにたくさん乗っており、そうかこの時間帯が彼らの通学時間なのだなと得心するに至った。
 それは良いのだが、彼らの来ている制服にどうも見覚えがなく、とは言っても僕が知っているのは25年以上前の事だが、何処の高校なのだろうと彼らの制服や学校指定のバッグを盗み見していた。目星をつけていた近くの公立高校の在る駅に着いても彼らは降りないので、おそらく少し先に在る私立高校だろうと検討を付けた。いずれにしても制服は大きく様変わりしている。どちらの高校も、かつては男子は黒い学ランで女子は紺色のセーラー服であった。ところが目の前に居る彼らは、男子はダークグレーにピンストライプで三つボタンのスーツ。女子は紺のブレザーに深緑のチェックのミニスカートに紺色のハイソックスである。女子の制服はフツーに可愛い。しかし男子の制服は正直もっさりしていてダサいと思った。何故ダークスーツなんだ。しかし考えてみれば、九州の田舎の男子高校生がダサくてもそれはそれで良いような気がする。そもそも他人事だし。

 今朝はそんな彼らを電車の中で見物していたのだが、なかなか楽しかった。

 僕のすぐ近くには席にあぶれた仲の良いグループであろう男子達が立っていた。各駅停車なので、電車が一駅進む毎に友達が乗ってきて、窓外に姿が見えれば皆でニヤニヤしながら迎え入れ、乗車するや否や軽口を叩いて喋り始める。この時間の電車の先頭車両で待ち合わせしているのだろう。なかなか微笑ましい光景である。そして、そういうグループの中には一人は居るお調子者、よく言えばムードメーカー的な役割の男子が皆にまんべんなく話しかけていた。内容と言えばどうでもいいようなつまらない事だが、友達の気持ちをほぐすには適度な話題だ。沿線にスーパーイオンモールが在るが、それについての話題だとか。

「スーパーイオン、なんが在ると?」

「知らん」

「イオン、なんか在るとね?」別な友達に向かってわざわざ繰り返す。

「なんもなかろ」

 そんな感じ。相手の友達連中も嫌そうな素振りもなくニヤニヤしながら答える。どーでもよい話だが、田舎の高校生にとってはそれが有意義であるのかも知れない。
 友達連中に一通り話しかけた後、ムードメーカーの男子が次に話しかけたのは彼らの側に立っていた一人の女子だった。

「知らんよ」クスクス笑いながらその女子は答える。

 決して美人とは言えないが、笑った顔が可愛い背が低い女子だった。車内を見回すと、席に座ってお喋りに講じている女子達がたくさん居たが、その子だけが一人「友達とは一緒じゃないし、たまたまそこに乗り合わせた」体でおちゃらけ男子グループの側に居た。僕はへーと思った。なるほどね、と。僕の偏見がそうさせるのかも知れないけど。そして言わずもがな、おちゃらけ男子グループの連中は全員その子に大注目である。もちろん興味がない体を装いながら。
 想像するに同じクラスだがまともに話した事はなく、しかし何となく気になるので側に寄ってみた、という感じだろうか。それがこのおちゃらけ男子グループ全体の雰囲気に惹かれているのだとしたら良いのだが、もしかして対象がその中の一人だった場合、行く行くは仲の良い友達の一人が明日から別行動するようになるのかも知れんねぇ、と僕は余計な心配をしていた。すると突然。

「あ、生足やんね。ポイント高かねー」

「○○も生足やったばい」

「ホントね、オレはまだ見とらんばい」

 と、男子連中が騒ぎ始めた。オッサンかお前ら。まぁ照れ隠しなんだろう。なんだろうけどあのな、今は良いかも知れないが、社会に出て同じような事を女性に面と向かって言い続けたら、此処が九州とは言えども非難を浴びる事になるかも知れんのやぜ、とまたしても無駄な心配をしているうちに僕の目的地へ着いた。

 概ね面白かった。そう言えば昔は、僕も同じような事をやってたなと思いながら僕は電車を降りた。

Photography of HONG KONG DEMOCRACY

これらの画像はインターネット上から集めた。なので僕にはこれらの画像を使用する権利は無い。しかし、これらのものを後年に伝える為に残す事は必要だと考えるので、これらをストックする事にした。

香港市民に真正なる普通選挙の権利を。

I gathered from the Internet these images. So there is no right to use these images to me. However, because I think that it needs to leave in order to tell in later years these things, I decided to stock these images.

Give the right of universal suffrage in Hong Kong a genuine citizen.

我從網上收集的這些圖片,所以就沒有使用這些照片給我的權利,但是,因為我認為它需要為了告訴在以後的歲月裡這些東西離開,我決定去購買這些圖像。

給予普選香港權的真正公民。

因みに、自分が知ってる文法や単語でどうにか文章を調整出来るのは英語だけで、繁体中国語は英語からの機械翻訳である。なので所々間違ってる可能性は高い。

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泥団子作りの伝承

 去年の春に僕はこういう記事を書いているのだが、暫く前に古本で買った渡辺文雄の著した「江戸っ子は、やるものである。」というエッセイを読んでいて、園児であった僕らがやっていたのと酷似した記述を見つけた。如何にそれを引用する。

 まったく変な遊びがはやっていたもんだ。ドロダンゴ。土でダンゴをつくりその強度を競いあう。
 もう少し具体的にいうと、ジャンケンで負けた方が、砂場の砂の上に、自分のドロダンゴを置き、勝った方が、その上に自分のダンゴを落下させる。もちろん割れた方が負け。割れなければ代わり番こにくりかえす。
 実に単純な遊びだが、子供達はその土ダンゴの強度を高めるために、ちょっと大げさにいえばそれこそ命がけであった。材料の土とネンドと砂の割合いをいろいろ変えてみたり、でき上がったダンゴを土にうめてみたり、またそのうめる所をいろいろ変えてみたり、それこそありとあらゆる試みにいどんだ。
 勝ちすすんだダンゴは、いつも掌中にあるため、つやつやと黒光りして、それはもう間違いのない宝物であった。このドロダンゴ(と何故か呼んでいた)の重要な材料が、イイネンドなのである。

渡辺文雄著『江戸っ子は、やるものである。』PHP文庫 1995年 p.70

 まさしくこれである。読んで思い出したが、固さを競い合う方法もほぼこれと同じであったと思う。

 渡辺氏は昭和4年に東京は神田で生まれた下町っ子である。正確には書かれていないが、そのドロダンゴの思い出が小学生低学年の頃のものであるとして昭和11年から14年。それから約35年後の福岡の田舎町で同じ遊びをしていたとは感慨深い。
 ところで、こういう遊びというのはどうやって伝承するのだろうか。先生から教えられるものではないと思うので、誰かが年長者である兄(女児はやってなかったと思うので)から教えられたものではないだろうか。年が離れた兄弟の間ではそういう事はしないような気がするので、1〜3年のスパンで、ちょっとずつ伝えられて行ったのだろう。そして、伝えたとしても年少者がそれに夢中にならなければその後の伝承はないだろう。考えてみれば結構凄い事のような気がする。

 記事を書いている間に、もしかすると僕がやっていたのも小学生の頃だったかも知れないと思い始めた。園舎(または校舎)の右側のスペース、土間と地面と花壇に囲まれた場所でやっていた記憶があるのだが、よく思い出してみれば小学校にもそういう場所があった。しかし今では保育園は学童保育所になってしまったし、小学校も校舎が建て変わっているので確認のしようがない。数年の差でしかないが、何となく気になる。

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