現在居候している実家を父が建てる前は、少し離れた場所に在る古い一軒家を借りて家族で住んでいた。で、その数年前にはそのすぐ近くの更に古い一軒家に長い間住んでいたのだけれど、平成三年の台風17号・19号により屋根が半壊してしまったので、急遽前述の借家を父が何処からともなく借りてきた。その二つの一軒家は同じ道沿いに在ったので引っ越しは容易であったが、近所の風景が変わり映えしないので、住む場所(世界)を変えるという昂揚感は薄かったように思う。前の家は袋小路の行き止まりの手前に在り、後の家はその袋小路の入口に在った。
その一帯は、その縦横に走る道の幅や曲がり具合からして、車を通す事を念頭に置く事すら考えないくらいに古くからある民家が寄り集まった場所のようで、敷地の広さも、家屋が建てられた年代も様々な家々が立ち並んでいた。話を戻すと、その袋小路へ繋がる道と、クネクネと曲がる小径(軽自動車がようやく通れるくらい)が交わるT字路の角地に僕の家は建てられていたので、二階の窓からは、視界は狭いがわりと良い景色を眺める事が出来た。
そして、僕の家の道向こうの古い人家には、庭に柿の古木が在り、その枝々は小径の半分くらいを覆っていた。柿の木と言えば、夏には黒くて毛の長い毛虫がよく幹を這っており、刺されるともの凄く痛い。「ヂカヂカヂカッ」と擬態語とも擬音語とも言えないが、そういう音で表現出来るくらいにその痛みに特徴がある。もうとにかく痛い。秋も深まれば実を結ぶが、誰も収穫しないところを見るとどうやら食べられない種類のようだし、晩秋ともなれば熟れすぎた実が地面に落ち潰れ、辺りに甘ったるい腐臭を撒き散らす。良いところなど一つもないので僕は柿の木が嫌いであったのだが、何故かしら今でも、晩秋の頃の肌寒い空気の中に満ちるその匂いや、葉も落ちて変貌した黒く湿っぽい樹木の立ち姿を思い出す。そして今ではもう、それが嫌な思いとしては蘇ってこないのだ。何故だろうか。子供の頃から成人するまで毎年のように嗅ぎ、見ていたので擦り込まれてしまっているのだろうか。いつの時も晩秋と聞いて思い出すのはそれなのだ。
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場所変わって、東京で住んでいたアパートの前には子育て地蔵尊が在り、その脇の小径を歩いて行くと右側の人家の庭にも柿の木が在った。そしてこれもブロック塀を越え枝が道路まで延びていた。風情としては良いのだけれど、道路側に伸びた枝の手入れをしないというのは、何かそういうスタイルが世の中に在るのだろうか。その柿の木も古かったが小振りなもので、結ぶ実も多くはなかった。しかしやはり、熟れすぎた実はアスファルトの上に落ち、そのままにしてあった。たぶんその頃からだろう、そういう始末の仕方もその季節の記憶となると、良いものであるのかも知れないと思い始めたのは。少なくとも、橙色を通り越して朱色となった柿の実を、灰色の寒空を背景に見上げるのは良いものであった。
しかし、僕が東京を去る一年ほど前にその人家は建て替えられ、柿の木も切り倒された。
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少し気になったので今日、僕が以前に住んでいた家を自転車を漕いで見に行った。その場所へと続く道の入口を見落としてしまうくらいに一帯は様変わりしており、僕が住んでいた家も含め、おおよそ半分くらいの人家が建て替えられていた。柿の木の在った家はかろうじてそのままであったが、柿の木は何処にも見当たらなかった。
こうして思い出の場所は別なものに差し替えられ、思い出もやがて薄れてしまう。そしてその思い出を持つ人間が死んでしまえば、それはもう存在しなかったのと同じ事になってしまうのだ。
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2007年に、その家に住んでいた当時の事を記事に書いているのを思い出した。よく見たら台風の番号を間違えている。「脳幹を巡る音楽」
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