DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Author: doggylife (page 42 of 193)

泥団子作りの伝承

 去年の春に僕はこういう記事を書いているのだが、暫く前に古本で買った渡辺文雄の著した「江戸っ子は、やるものである。」というエッセイを読んでいて、園児であった僕らがやっていたのと酷似した記述を見つけた。如何にそれを引用する。

 まったく変な遊びがはやっていたもんだ。ドロダンゴ。土でダンゴをつくりその強度を競いあう。
 もう少し具体的にいうと、ジャンケンで負けた方が、砂場の砂の上に、自分のドロダンゴを置き、勝った方が、その上に自分のダンゴを落下させる。もちろん割れた方が負け。割れなければ代わり番こにくりかえす。
 実に単純な遊びだが、子供達はその土ダンゴの強度を高めるために、ちょっと大げさにいえばそれこそ命がけであった。材料の土とネンドと砂の割合いをいろいろ変えてみたり、でき上がったダンゴを土にうめてみたり、またそのうめる所をいろいろ変えてみたり、それこそありとあらゆる試みにいどんだ。
 勝ちすすんだダンゴは、いつも掌中にあるため、つやつやと黒光りして、それはもう間違いのない宝物であった。このドロダンゴ(と何故か呼んでいた)の重要な材料が、イイネンドなのである。

渡辺文雄著『江戸っ子は、やるものである。』PHP文庫 1995年 p.70

 まさしくこれである。読んで思い出したが、固さを競い合う方法もほぼこれと同じであったと思う。

 渡辺氏は昭和4年に東京は神田で生まれた下町っ子である。正確には書かれていないが、そのドロダンゴの思い出が小学生低学年の頃のものであるとして昭和11年から14年。それから約35年後の福岡の田舎町で同じ遊びをしていたとは感慨深い。
 ところで、こういう遊びというのはどうやって伝承するのだろうか。先生から教えられるものではないと思うので、誰かが年長者である兄(女児はやってなかったと思うので)から教えられたものではないだろうか。年が離れた兄弟の間ではそういう事はしないような気がするので、1〜3年のスパンで、ちょっとずつ伝えられて行ったのだろう。そして、伝えたとしても年少者がそれに夢中にならなければその後の伝承はないだろう。考えてみれば結構凄い事のような気がする。

 記事を書いている間に、もしかすると僕がやっていたのも小学生の頃だったかも知れないと思い始めた。園舎(または校舎)の右側のスペース、土間と地面と花壇に囲まれた場所でやっていた記憶があるのだが、よく思い出してみれば小学校にもそういう場所があった。しかし今では保育園は学童保育所になってしまったし、小学校も校舎が建て変わっているので確認のしようがない。数年の差でしかないが、何となく気になる。

 一九九〇年以降、美術館の数は増えました。ところが、景気が後退するとまず予算を切られるのは芸術文化部門です。ハコはつくってみたものの、中身までは手が回りません。近年開館した森美術館にしろ、国立新美術館にしろ、コレクションを持たずに企画展を見せることに終始するタイプの美術館が増えました。
 独立行政法人国立美術館法(二〇〇一年施行)は、この状況にさらに追い打ちをかけます。国立美術館は、自力で採算を上げなければならないのです。ますます財政は厳しく、新たにコレクションを増やすのは相当苦しい状況です。美術館行政は、芸術文化の向上といった「質」よりも、まずは入館者数や売上といった「量」を最優先課題としなければならなくなったのです。

小山登美夫著『現代アートビジネス』アスキー新書 2008年 p.190

ブログシステム入れ替えの告知

 準備が出来てしまったので、そろそろブログシステムを Nucleus から WordPress に入れ替える。実作業は一週間後くらいの予定。

 結局記事は大方を手動で移植した。全てではない。これはつまらない事を書いてるな、と思った記事は削除した。当てにしていたエクスポートのプラグインが巧く作動せず、記事中に独自のクラス要素をいろいろ使っていたので巧く行く気もしてなかったし。今後はそういう独自のクラス要素なんかを使う事はしないようにしよう。
 しかし、どうして全部やってしまったのかというと、記事やコメントで過去の記事に対して言及している箇所が幾つか在って、それをカバーしようとすると結構昔の木嶋で遡ってしまい、ここまでやったのなら全部やろう、となった訳である。なんとなくそうなる気はしてたんだよね。出来れば避けたかったんだけど。

 そもそもこういう告知の記事を書く必要はないように思えるが、もしかしたら Feed で読んでいる人が居るかも知れないし、そういう人は非常に奇特なので配慮したいと考えたのである。現在の Feed は http://www.doggylife.org/rss2.xml もしくは http://www.doggylife.org/atom.xml なのだが、これが http://www.doggylife.org/?feed=rss2 になるはずである。

 ところで、必要に迫られて過去記事を斜め読みしたのだが、想像に反して現在とあまり変わらないテイストで書き続けていた。昔は結構恥ずかしい文体で恥ずかしい内容を書いていたような気がするなあ、と思っていたがそんな事はなかった。記憶違いも甚だしい。自分を貶めるような記憶を捏造してどうする。たまに色気づいて情報系の記事を書いたりもしているが、その場合は結構恥ずかしい文章になっていたと思う。内容も浅はかだし面白くないのだ。似合わない事はするべきではない、と本気で思った。
 しかしながら、10年以上も変化の少ない文章を書き続けているというのはどういう事か。それなりに経験し知識も増やしているはずなのだが、どうにも精神的な成長が見られない。人というのはそういうものなのか、どうか。少なくとも僕は同じ事を繰り返して行くのだろうな、とは思っている。

2014.09.30:Wordpress に移行済み。

求めるもの

 昔、通っていた小学校隣の寺の参道の脇に当学校生徒目当ての駄菓子屋が在った。参道の砂利道から右へ逸れる石段が在り、その先に木板の壁の小さな家屋が建っていた。入口にはガラスがはめ込まれた木製格子の引き戸が在り、それを開けると狭い店内に様々な駄菓子が所狭しと並べてあって、その奥に店主である老婆が鎮座していた。右側には簡素で狭い座敷が設けられていて、そこで子供達が飲み食い出来るようになっていた。僕らはなけなしの小遣いを握りしめ、毎日のようにその店で買い食いをしていた。
 そして僕が高学年に上がった頃の或る夕方、僕は寺へ向かってその参道を歩いていた。恐らく友達と境内で遊ぶ約束でもしていたのであろう。すると、駄菓子屋へ登る石段の脇に転がっている大きな岩の上に小さな男の子が座っていた。制服を着ていたので(小学校に制服はなかった)、かつて僕も通っていた小学校の隣の保育園に通う子だと思う。その男の子は片手にジュースの瓶、もう片方の手には菓子パンを握ってた。身体の小さな幼児であるが故、それらを落とさないように手に「持つ」というより「握りしめている」という印象があった。そして彼は瓶の飲み口を自分の唇にあてがい、ごくごくとジュースを呷って飲み干した後に、大人が仕事後の最初の麦酒を一口飲んだ後に漏らす溜息のように「はぁ〜あ」と一息ついた。よほど美味しかったのだろう。念願の一本だったのだろう。彼はとても嬉しそうだった。
 その光景を見ていた僕は何とも言えない気分になった。切ないというか何というか、とにかく説明の出来ない感情に襲われたのである。当時はもちろんの事、今でもそれを巧く説明する事は出来ない。自分よりもずっと若年の存在であったから保護者的な気分になったのかも知れないと考えもしたが、当時は自分も保護を必要とする存在でしかなかったし、知らない子なので何の思い入れもない。何かしらの努力の末に望んだものを手に入れた物語に対する感動なのかとも考えたが、僕はそんな事情はまったく知らないし、当時の僕がそんな感覚を持っていたのかは甚だ怪しい。僕がその時に感じたソレが、一体何だったのか解らないままここまで来た。実に不思議な気分である。

 ★

 それから20年後、或る夜僕は池袋のシェイキーズに居た。当時の恋人と一緒に遊んだ後、夜になってハラも減ったのでピザでも食べようとその店に入ったのだ。その時僕らの隣のテーブルに20代半ばと思しき太った女性が座っていて、ピザを美味しそうに頬張っていた。その姿を見た僕は、そこでまた溜まらない気分になってしまって、それ以降その女性の事が気になって仕方が無くなってしまった。彼女の満面の笑みや、ピザを口へと運ぶうやうやしい仕草を見て僕は、普段生活費がカツカツで週末に大好きなピザを食べるのを唯一の楽しみとして生きている人なのだろうか、とか。普段はダイエットに勤しんでいるがとうとう抑えきれずに食べに来たのだろうか、とか。結構失礼な事を考えていたと思う。しかしそれと同時に、向かいの席に座る恋人にその事を話す気持ちの余裕は微塵もなく、見てはいけないものを見てしまった、或いは決して邪魔をしてはいけない、そんな事を考えながら胸が締め付けられる思いに堪えていた。

 書けば何か解るかも知れないと思って書き始めたこの記事だが、やっぱりよく解らない。人間の希求に対する自分の反応の仕方なのかなとも考えたが、サンプルが少ないせいかどうにも腑に落ちないし、そんな曖昧な自分の感覚は信用ならない。相も変わらず、そういう自分自身に対する疑問を抱えながら生きて行くしかないのだろう。

 日本では、公益性のある美術館や団体に寄付する場合、所得の四割まで控除を受けられる制度があります。私立美術館への寄付は課税対象です。相続税については、購入金額ではなく相続時の評価額に課税されるので、評価額が大きく上がると相続者が苦慮することになります。結局、税金を払うために作品を手放して海外に流出させてしまったり、納税を避けるために作品が隠されてしまい、個人所有の重要な文化財の所在が不明になってしまう場合があります。(和田)

小山登美夫著『現代アートビジネス』アスキー新書 2008年 p.185

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