DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Author: doggylife (page 34 of 193)

とある秋の日の散歩道

 先々週の月曜日だったか、午前中にウォーキングに出た。気温は高めで明るい陽差しの下、いつものように農道(と書くと畦道を想像するかも知れないがちゃんとアスファルトで舗装されている)を西へ抜けると、近くの幼稚園の子供達がどうやら散歩中であるらしく、みんな赤い帽子を被ってひよこのように歩道の一角に整列していた。僕は保育士や園児達と挨拶を交わしながら行き過ぎたが、道の脇には黄色く花を付けた背高泡立草が立ち並んでいた。
 それから僕は別な農道に入る。それは昔から在る道で、僕が子供の頃にはまだ舗装されていなかった。田畑の広がる地域を蛇行しながら南北に延びていて、その途中に今はもう使われていない資材ゴミ焼き場が在る。燃え残って積み上がった資材が生い茂った植物で覆われていて山のように見える。そしてその中には野生化した青紫色のアサガオが混じっていた。その農道は橋のたもとに繋がっており、河岸には釣り人が二人、少し離れて坐って川面に糸を垂らしていた。子供の頃の記憶を辿ると、釣れるのはコイかフナかタイワンドジョウのはずである。装備を見る限りでは、フナ釣りだと思われた。
 今度は川沿いの道を歩く。珍しく透明度の高い川の流れを覗き込むとコイが群れて泳いでいた。暫く歩くと二本の川が合流する場所があり、川面には十数匹のカモが泳いでいた。先頃まで居たシラサギやアオサギと入れ替わるように彼らはやって来る。てんでに泳ぎ回る彼らは楽しそうだ。
 暫く歩いてさっきのとは別な橋を渡り、対岸に沿う道を神社へ向かって西へ歩く。西鉄のガード下を潜り、色づき始めたイチョウの木を見上げ、駐車場から境内へ入る。石段を昇り山門を潜って本殿の前へ進み出る。賽銭を箱に向かって放り、鈴を鳴らさず(わざわざお出で頂くのは気が引けるような気がして)、二礼二拍手一礼。なかなか良い音が出せない。願い事をするのはどうにも照れる。
 その後境内を一回りして、山門の横を通り、鳥居で一礼して境内を出るとそこはまた別な橋(町を貫く県道が走っている)のたもとで、僕は再び橋を渡り、今度は東へ向かって川沿いの道を歩く。そしてすぐさま踏み切りの手前で右に折れ、坂道を下る。路地を抜けると、そこは僕が小学生の頃に住んでいた地域だ。なので見覚えのある古い家と、建て替えられた目新しい家が混在していて不思議な感覚を覚える。昔は時計屋・肉屋・魚屋・花屋・薬屋・醤油工場・ピアノ教室が建ち並んでいた通りに、今では醤油工場しか残っていない。僕は踏切へと向かって歩く。ちょうど来た二両編成の電車が通り過ぎるのを待ちながら、子供の頃から在る人家の手入れされた生け垣や庭木などを眺める。踏切を越えて真っ直ぐ歩いて行くと、家族が次に引っ越した家が在った地域に入る。実際には脇道から脇道へと入って行った先に当時住んでいた場所が在る。家屋自体はもう取り壊されているが、土地はそのままだ。
 脇道へは入らずにそのまま進むと、幼馴染みの家が左手に在る。そしてその家の前から右に折れて路地に入る。かつてその路地沿いには古い市営住宅が建ち並んでいた。建て替えの計画が進んでいて、今では三分の二くらいが取り壊されて空き地になっている。間取りは2DKくらいだろうか。小さな家だが、どの家もよく手入れが為されている。猫の額ほどの庭にも色々な植物が植えられていて、季節毎に楽しませてくれる。僕個人からすれば何故そのままにしておかないのかと思うが、古いままだと管理面で何かと不都合が出るのだろう。
 その道は駅へと向かう。しかしそのまま素直に繋がってはくれない。突き当たって右折してすぐに左に折れると、ようやく小さなロータリーに出るのだが、その手前に菜園が在る。いつ見ても雑草の一本も生えていない、手入れのよく行き届いた菜園だ。その日は主の老夫婦がサツマイモを掘り起こしていた。丸々と太って美味そうな芋であった。いつもは夫か妻のどちらかしか見かけないが、今日は二人揃っていた。菜園の敷地内に作業小屋を建てて、道具置き場にしたり休憩所にしたりしているようだ。農作業着も何だか小綺麗にしている。
 それからロータリーを渡り、駅前のマンションの一階に入った幼稚園の前を横切って脇道に入る。一軒家やアパートが立ち並ぶ区域ではあるが、心療内科の医院も在る。アパートの駐車場から一台の軽バンが出て来る。車の後部に資材や工具を積んで、屋根には脚立を二台乗せて、二十代であろう青年が二人、それぞれ頭にタオルを巻いて乗っている。出て来たアパートで、朝一で作業をしていたのだろう。ツナギの袖を捲り上げた腕でハンドルを捌き、意気揚々と走り去っていった。
 僕は彼らを見送りながら南へ歩き続け、突き当たりの道路を渡り、自宅へと帰り着いた。気温と、光の加減と、道々で目に入る色彩と、人々の穏やかな動きが見事に調和した、とある秋の日の散歩道であった。

 欧米のアートマーケットの基盤には、作家や作品に価値を与えていくアートビジネスの構造があります。これは、アーティストをブランディングしていく上手な仕組みとも言えます。著名な国際展、アートフェア、オークションは、互いに連動しながら一つのサーキットとして成立しています。
 例えば、春先にニューヨークで有名なアートフェアが開催された後には、ニューヨークとロンドンで話題の作品が一挙に競り出される注目のオークションが開催され、初夏にはスイスのバーゼル・アートフェアに世界中の一流ギャラリーが集まります。バーゼル・アートフェアのオープニングのすぐ後には、ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア・二年に一度)、ドクメンタ(ドイツ・五年に一度)、ミュンスター彫刻プロジェクト(ドイツ・一〇年に一度)が開催され、秋が近づくとパリのフィアック・アートフェア、ロンドンのフリーズ・アートフェアがあり、その後再びニューヨークとロンドンで大きなオークションが開催されます。そして、冬にはアメリカ東海岸のアート・バーゼル・マイアミビーチが一年を締めくくります。
 毎年このような世界的なサーキットに乗って、アートマーケットは巨額の利益を生み出しています。
吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.120-121

 過去にもう一人、アートマーケットの基盤を形作ったキーマン的存在として、あのパブロ・ピカソが挙げられます。ピカソといえばキュビスムの創始者であり、二〇世紀の美術を代表する偉大な芸術家です。しかし、彼が美術の流通に資本原理を取り入れた先駆的存在であり、アートマーケットの立役者の一人であることはあまり知られていません。
 ピカソは自らの作品の流通の状況をつぶさに把握し、上手にコントロールしていたと言われています。作品が多く出回っているときには新作の発表を控え、少なくなってきたと思えばギャラリーに作品を卸すようにしていました。いわば、受給の調整を通じた価格や人気の維持、作品のブランディングを自ら行っていたのです。
 また、アーティストとギャラリーが正式に契約関係を結んだのも、ピカソが初めてだったと言われています。それまでは、創りたいときに創りたいものを制作していたインディペンデントなアーティストは、ときにギャラリーに作品を買い叩かれることもあるような弱い立場におかれていました。しかしピカソは、ドイツ人画商カーンワイラーとタッグを組み、戦略的な作品制作・発表・流通の一連のプロセスを築き上げました。ピカソは天才的なアーティストであると同時に、一流のマーケッターでもあったのです。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.80-81

 文学のような文字メディアが現実認識に対する主要な媒体であった時代には、例えば主人公の人格形成の遍歴を扱う小説のような形式が、読者に人生の予行練習としての経験の先取りを与えていたのでしょう。しかし、ビジュアル・イメージが支配的なメディアの形式となると、現実認識に対するバイアスは、概念からイメージへと変化します。
 近代以降の知的枠組みでは、概念・表現と事物・対象との対応や一致が、諸学問および芸術の判断基準となってきました。現実の再現というリアリズムの束縛から一歩踏み出たかに見える印象派のような絵画が、知覚的経験の再現という解説を付される背景には、このような判断基準の働きがあります。
 それは、科学的知識が信頼に足るのは経験的検証を経ているからであるということと、基本的には同一の考え方と言ってもいいでしょう。それは、概念・表現と事物・対象との対応が経験による審判によって正当化されるという枠組みです。
 しかし、概念と事物ではなく、イメージと事物が現実認識を生成する主要なモードであるとすれば、それらは相対的な二項としてあるため、現実についての真偽や善悪に関する命題も相対的なものにならざるを得ません。イメージと事物の対応が経験的知覚によって検証されると言うこともできなければ、どちらか一方を他方に基礎づけることもできないでしょう。そうすると、対象や事物と呼ぶべきものの位置づけも曖昧になります。
 対応および一致の検証という論理的作業のきっかけを失ったとき、経験的知覚そのもののなかには、イメージと事物を分け隔てる物質的要素の有無を知る手がかりもなければ、それを知る必要も感じないからです。
 私たちが直面している生の条件とは、このようなイメージの専制とでも呼ぶべき、現実性=虚構性の等式が成り立つ一元的な世界なのです。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 pp.57-58

 九〇年代アートは、こうしていわゆる現実志向の作品が主流をなすようになりました。理念や価値を提示する理想主義やエッセンシャリズムに代わり、眼前の現実の有り様に注意や関心を向けるスタンスが、広範に浸透していったように思います。
 こうした変化の背景には、冷戦構造の崩壊が関与しています。東西の体制が競い合ってきた「豊かさ」や「解放」といった大きな物語が権威を失墜させたことで、断片化した現実に関心が向くようになったのです。アーティストがとりあげる現実の対象は、コンフリクトに満ちた社会問題(ポストユートピア)であったり、私的で身近な世界(インプライベート)であったりしました。

吉井仁実著『現代アートバブル いま、何が起きているのか』光文社新書 2008年 p.26

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