DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Author: doggylife (page 19 of 193)

 儒教の経書の一つである『書経』の洪範(天下を治める大法)の中に、人生の幸福についての五項目すなわち「五福」が掲げられている。
 それによれば、第一が長寿、第二が富、第三が健康と心の安寧、第四が徳を好むこと、第五が天寿をまっとうすることである。
 徳とは、もちろん儒教でいう徳のことで、人倫を基調とするものである。徳を好むことを幸福の一つとしたのは、儒教の人生観、社会観、世界観に基づくものであることはいうまでもない。
 五福において長寿を第一としたのは何故か。
 それは長寿であってこそ、もろもろの幸福を享受することができると考えたからである。例えば、知らないことも知ることができ、不可能なことを可能にすることができ、学問も進み、知識も深まるから、長生きしなければならないという。こういうことが、儒教が理想とするところであった。
 洪範には、また「六極」を掲げて、六つの不幸を述べている。
 それによれば、第一は凶害に遭って若くして死ぬこと、第二は病気にかかること、第三は心に憂患があること、第四は貧苦であること、第五は剛強に過ぎて禍を招くこと、第六は柔弱に過ぎて辱めを受けること、としている。
 儒教では、老人の養生説も一般の養生説も、すべてこのような観点から論ぜられたのである。
 中国の思想史を大観すると、その思想は三つの系列に分類することができる。
 第一は、道徳的人間性を基調とする理想主義で、儒教がこれに属する。第二は、功利的人間性を基調とする現実主義で、法家、兵家、外交家がこれに属する。第三は、宗教的人間性を基調とする超越主義で、道教がこれに属する。仏教もこれに属するといってよい。
 理想主義に立つ儒教は、道徳的人間性を根本とするから、人と我とをもって道徳一心とする万物一体思想を基調とするので、個人の人生をまっとうすることと、人々の人生をまっとうすることとを不可離の関係にあるものとする。その結果、修身と経世済民とを一体とし、真の修身は経世済民をまって成就し、真の経世済民は修身を本として完成せられるとした。
 もちろん人格の形成は、人倫を基調とするものであったことはいうまでもないが、そのためには天与の生命をまっとうすることが不可欠であると考えられたのである。だから儒教において養生訓が説かれるようになったのは当然であろう。
 また、超越主義に立つ道教や仏教は、宗教的人間性を基調とするが、それは人生は欲念のために苦悩することを免れ得ないとする宿命観、超越的な絶対者に帰依してそれを解脱し、それによって永遠の生命を得ようとした。そのためにまた養生訓が説かれるようになったのである。
 要するに養生訓は、古今にわたって中国の思想界を支配した理想主義に立つ儒教と超越主義に立つ道教、または仏教において説かれるようになったのである。

朝日新聞福岡本部編『博多町人と学者の森〜はかた学6〜』葦書房 1996年 pp.79-81

 一般に実学というと、人間の社会生活に役立つ実用的科学技術の学問のことを指すが、これは後世のことで、本来は人倫道徳およびその体得実践の学にあった。
 実学ということがやかましくいわれたのは、宋代からで、老荘や仏教に対して儒学を実学といい、老荘仏教の学は無用の学、すなわち虚学としてこれを退けた。
 もともと実学は道徳哲学、人生哲学と一体のもので、しかもこれを根本としなければならない、として両者の間に本末緩急の別が考えられたのである。だから実学は道義的精神の発揚でなければならなかった。このことは朱子の全体大用論によく示されている。

朝日新聞福岡本部編『博多町人と学者の森〜はかた学6〜』葦書房 1996年 p.70

 近・現代の福博と福博町人を知るのに「紙與呉服店」(現在の紙与産業の前身)の歴史は避けて通れない。福岡市の中心部、天神から電気ビルまで、山手に向かって伸びる大きな通りがある。道沿いには、デパート、西鉄福岡駅、ホテル、銀行などが林立する福博のメーンストリート「渡辺通り」である。
 この通りの呼称が福博の道路建設や九州大学誘致、博軌電車(現在の西日本鉄道の前身)の施設、博多絹綿紡績会社の設立などに尽力した渡邉本家三代目当主、渡邉與八郎氏にちなんだものである、といえば、その存在の大きさの一端はわかっていただけるだろう。

朝日新聞福岡本部編『博多町人と学者の森〜はかた学6〜』葦書房 1996年 p.40

シルビアのいる街で

シルビアのいる街で

シルビアのいる街で:KINENOTE

 自分の観たい映画リストに放り込まれていたのだが、粗筋を読んでも何故この映画をチェックしたのかがさっぱり思い出されず、かといってそのままにしておくのも何なので観てみた。

 ホテルの一室で1人の青年がベッドで考えごとをしている。しばらくして地図を手に街に出かけた青年はカフェで1人の女性客に声をかけるが無視されてしまう。翌日、青年が演劇学校の前のカフェで客たちを眺めながらノートにデッサンをしていると、ガラス越しに1人の美しい女性を見つける。彼女がカフェを後にすると彼は後を追う。街中を延々と歩き続け、市電の中でようやく彼女に声をかけることができた彼は「6年前に会ったシルビアだよね?」と尋ねるが、彼女は人違いだと答え、更に彼が追って来たことを責める。翌朝、青年はカフェに寄ってから市電の駅に向かい、そこで佇む。彼の目に多くの人々の姿が映り、彼のノートが風にめくられる中、目の前を何本もの市電が通り過ぎて行く。
シルビアのいる街で – Wikipedia

 ウィキペディアのストーリー項目にはこう書いてあるが、全くこのままで、これ以上の話はほぼ出て来ない。主人公の青年の表情や歩く姿、そして一人の女性の表情や歩く姿以外では、カフェに集う人々や、街中の通りを行き交う人々、市電を利用する人々を淡々と定点観測のように映しているだけである。しかし、それが良い。カフェで人々は柔らかい陽光の下で風に吹かれながら、連れと喋っていたり、物思いに耽っていたり、思い思いに過ごしている。映像としても音響としても、人々は互いに見切れ、重なり合って映し出される。状況の中に埋没してしまいそうだ。街中の通りでは、目的地へと急いでいたり、座り込んで途方に暮れていたり、時間と場所を変えて同じ人が歩いていたり、せっせと働いていたり、様々な人々が縦横無尽に行き来する。そしてこの二つの場所を一人の物売りが渡り歩き、単調な流の中でアクセントとなっている。このような光景の連続が、時折ほんの少し居心地悪く感じる場面があっても、心地良いのだ。
 このように異色な作品だが、テイストが珈琲時光に似ている気がする。どちらともストーリーはあくまで時間を進め場所を移動する為の口実でしかなく、映像と音響が主体である点がそう感じるようだ。しかもそれは、その辺りにいくらでも存在する「日常」的な光景。ありふれた光景の中に美を見出し、それをクローズアップする為にあらゆる事を従わせて出来上がった映画という印象を持った。

 喜多流の仕手(能の主役)方として代々、福岡藩の黒田家に仕えたのが、梅津家である。喜多流を酌んだいきさつは、流祖北七大夫がまだ喜多流を確立していなかったころにさかのぼる。
 一六一五年(元和元年)、大坂夏の陣で豊臣方に加担した七大夫は、黒田長政に保護され、筑前に下って紅雪と名を改めた。その時、七大夫の身近にあって、修行をしたのが、筑前夜須郡甘木村の美麗作右衛門の長子、次久(のちの権右衛門)であった。
 筑前の美麗家は、大善寺玉垂宮など、筑後一円の社寺に田楽を奉仕した中世の美麗田楽の系譜をひいた一族である。
 もともと京都の梅津に住んでいたが、菅公の供をして筑紫に下ったと伝えられ、太宰府天満宮で「竹の囃子」を奉仕した、という由緒を持っていた。
 美麗の号は「容顔美麗」であったことから、頼朝から許されたものだ、と伝えている(福岡市在住の梅津忠弘師が所蔵する「筑前梅津家文書」)。
 美麗家は、のちに梅津家を称した。

朝日新聞福岡本部編『江戸の博多と町方衆〜はかた学5〜』葦書房 1995年 p.155

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