DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Author: doggylife (page 17 of 193)

 ホステスクラブは、「男らしさ・女らしさ」が過剰に演出される場所だ。店内では、男性はより男らしく(偉そうに・強そうに)、女性はより女らしく(従順に)ふるまうことが求められる。さらに店側は、ホステスと客との間に「恋人のような親密さ」を演出するため、女性が客からのセクハラや性暴力をはっきり拒絶することはできない。
 どうやって客のセクハラから身を守りつつ、同時に気に入ってもらうか。これがホステスの永遠の課題である。これに彼女たちがどう対処しているのかを明らかにしたのが、川畑智子による「ホステスの媚態」研究だ。
 川畑によれば、ホステスは客からのセクハラを予防するため、しばしば「媚態」という行動に出る。媚態とは、あえて自分から客に触れたり、客に自分の体を触れさせたりといった「思い切った行動」のことだ。要は、「こんなに親密にするのは、あなただけよ。だから、これ以上はセクハラしないでね」というアピールである。このような身体技法は、キャバクラ嬢にもよくみられるが、自分から客の身体に触れても、客からの性的侵入を完全に拒むことはできない。ときに媚態は、客のセクハラを助長することにもなってしまう。
 川畑は他にも、素人ホステスが「ホステスらしさ」を獲得していく過程で、男性に従順であることを強いられ、自由意思を抑圧されるメカニズムを描いている。このように、水商売の現場が女性の意志を制限することでおカネを発生させる仕組みであることは、本書でも前提としておかねばならないだろう。

北条かや著『キャバ嬢の社会学』星海社新書 2014年 pp.41-42

 高度成長期に企業の「接待文化」が広まったことで、ホステスの需要は急拡大。本書で扱うキャバクラ嬢もまた、ホステスという仕事のかなりの部分を受け継いでいる。
「セックスサービスを提供しない」という点で、日本のホステスは特殊な存在である。文化人類学者のアン・アリスンによれば、男女がお酒を飲みつつ横に座って会話する「だけ」のサービスは、日本に特有のものだという。
 アリスンによるとホステスは、日本企業のサラリーマンが「男同士の絆」を強める役割を果たしてきた。男性が男として「一人前」になるには、他の男性から「あいつは男らしいヤツだ」と認められなければならない。そこで男らしく振る舞おうとする男性は、女性を性の対象として「所有」し、かつ「あいつは水商売の女だ」と差別しなければ、という思いに駆られる。
 ホステスクラブにも、この男性たちの思惑がはたらいていることを、アリスンは指摘した。彼女は銀座のクラブでホステスとして働き、客とホステスのコミュニケーションを観察した。その結果、接待でホステスに求められるのは「男性集団のコミュニケーションを円滑にすること」と結論づけている。

北条かや著『キャバ嬢の社会学』星海社新書 2014年 p.40

 パチンコ経験とかホスト利用などは、それ自体がとても「叩かれやすい」ものだ。「そんなヤツだから貧困になるんだ。自己責任だろう」という意見があるのはわかる。でも一方で、長らく貧困状態にあり、教育機関から排除され、そもそも貯蓄や消費の仕方を学ぶ機会がなかったという者もたくさんいる。排除された者こそが飛びつきやすい文化という事実もある。その悪循環というのがなかなか厄介なものだ。そのうえで、浪費・無貯蓄・無計画といった状態に陥りがちな人に対し、いかなる教育機会を提示できるのか、あるいはそうなる前にしっかりと教育や福祉で予防できるのか。そうした議論につなげられない限り、単に「社会的知らんぷり」で終わってしまう。

荻上チキ・飯田泰之著『夜の経済学』扶桑社 2013年 pp.224-225

 この社会ではしばしば、「障害者」と「健常者」という二分法を使うが、「健常者」だって結局は、「今は障害のない人」という意味でしかない。年をとればとるほど、障害を持つ人の割合は増えていく。「困ってる人」の問題に真剣に取り組むことは、誰にとっても「保険」になるはずだ。車椅子の人が通りやすい道路は、ベビーカーを押す親にとっても、趣味のフットサル中にケガをしたために松葉杖をつくソフトマッチョにとっても、駅まで徒歩で孫を迎えにいく老人にとってもありがたいものだ。

荻上チキ・飯田泰之著『夜の経済学』扶桑社 2013年 p.189

  • 多くの場合、「自分」より「生活保護受給者」に対し、「最低限度の生活」を低く見積もる傾向がある
  • 男性は女性よりも、「最低限度の生活」の水準を低く答える傾向がある
  • 女性は男性よりも、「自分」と「生活保護受給者」とのギャップが大きい
  • 安定した家庭や職をもつ人のほうが、「生活保護受給者」により厳しい
  • 「医者」「スーツ」「町内会のつきあい」は、自分には不要だが生活保護受給者にとっては必要と考える人が多い
  • 学生は生活保護受給者に対する寛容度が低い傾向がある
  • 「医者」「保険・年金」などは、年齢が上がるほど、生活保護受給者に対して厳しくなる
  • 「医者」「浴室」「冷暖房」「携帯電話」などは、年収が上がるほど、生活保護受給者に厳しくなる

 一般に、「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く」というイメージは強い。ネットメディアなどでもしばしば、「生活保護受給者は甘えている」「もっと大変な人がいる」という書き込みが見られるのだから、きっと、自分自身も生活に困っている者が、他の困っている人の足を引っ張っているのだろうか、と思いがちだ。そうした現実は、もちろんある。でも、実態はもう少し複雑だ。
 安定的な職業の者、あるいはそれなりの所得を得ている者たちのほうが、生活保護に対して厳しく評価している。どうもそれは、端的に言えば、「貧困を想像できないから」ということになりそうだ。

荻上チキ・飯田泰之著『夜の経済学』扶桑社 2013年 pp.180-181

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