DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Author: doggylife (page 48 of 193)

泉岳寺から高輪台を歩く(後編)

 豆腐屋が二軒もある。”高輪浴場” という銭湯がある。花屋がある。”虎屋” をはじめ和菓子屋もある。商店だけでなく、千葉のほうから大きな荷物を背負って魚の干物や野菜や果物を売って歩く行商のおばさんの姿も見える。親しい友人がこの町に住んでいるが彼にいわせると「ここは豆腐屋から葬儀屋までなんでもある町だ」ということになる。なるほど確かに葬儀屋もある。
川本三郎著『私の東京町歩き』ちくま文庫 1998年 p.48

 こうエッセイの中にあるのだが、どうもそのような雰囲気ではない。しかし場所は間違っていないようだ。僕が想像していたのは、せいぜい車一台が通ることが出来るくらいの道幅で、歩道もなく、個人商店がひしめき合うように建ち並ぶ、東京の東側でよく見るようなものであったのだが、実際には二車線の道路が走り、歩道の幅も充分に確保されていて、建物もぎっしり詰め込まれている訳ではない。「非常に明るく解放された感じがする」と書かれていたのは、この空間を広さを言ったものなのだろう。考えてみれば25年も前の記事であるので、店を閉めた商店も多いだろうし、それが建て替わって今のマンションが在ったりするのだろう。来るのが遅すぎた気がして、それが悔やまれる。

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 店は開いていないようだが、虎屋の建物は在った。中央部に煙突があるという事は、店舗の裏側に和菓子を作る厨房というか工場のようなものが在るのだろう。

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 廣岳院という曹洞宗の寺。この頁が詳しいようだ。入口から見える本堂の姿が少し変わった雰囲気だったので撮った。

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 道路に面した寺の山門を撮るのを忘れているので、再びこちらの頁を参考にされたい。日蓮宗承教寺とある。このサイトは実によく調べてある。僕はたいして下調べもせずに行ったものだからほぼ素通りしてしまって、道路に面したものしか見ていない。大変惜しい事をした。

左図: そう、この寺には「英一蝶」の墓があるのだ。それはこの立て札を読んで知ったのだが、墓には別段興味がわかなかったので中には入らなかった。しかしそれだけではなく、一蝶の描いた釈迦如来像が在るという事実を上記サイトで今知って、そして今悔しがっている。

右図: そしてこれは門前にある置物。気色の悪い狛犬だなぁと思って写真は撮っておいたのだが、実はこれ「」だそうだ。なぜ妖怪。なぜ件。不可思議だ。

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 こんな感じで、商店街とは呼べない雰囲気で道路を続いていく。25年前には在った店が次々に閉店して行ってる様子が窺える。

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 しかし所々には、レトロに洒落たワインバー(たぶん)があったりもする。蕎麦屋も見かけた。

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 このテイラーは営業を続けている。

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 そしていよいよ、目当てにしていたものが登場した。奥が高輪警察署で、手前が高輪消防署二本榎出張所である。

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 エッセイにも紹介されていたので期待していたのだが、それに充分に応えうる建築物であった。円筒形の火の見櫓が素晴らしい。さっきのサイトにも紹介されているのでリンクしておく。此処も中を見ておけば良かった。後悔一頻り。こういうランドマークが自分の住む町に在のは良いだろうなあ。

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 その後は別に面白くはない。左図の左手の奥にグランドプリンスホテル新高輪の高層階が見えるくらいだ。そして高輪3丁目の信号を右に折れると右図のように再び庶民的な並びとなる。

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そして高輪台の六差路に到着。これにてこの散歩は終わりである。全体を通してみれば、居心地の良い通りだったなあ。

泉岳寺から高輪台を歩く(前編)

 川本三郎が著した「私の東京町歩き」という本の中に、1988年11月に出版された雑誌「東京人」に書いた「高台にある眺めのいい町」というエッセイが収録されている。実際には高輪1丁目・2丁目の商店街というのがそれに当たるそうなのだが、町の人々は「二本榎商店街」と呼んでいるそうだ。エッセイの中にこういう記述がある。

 そして地形的に面白いのはこの商店街が高台にあることだ。ちょうど尾根づたいに通りが伸びしている感じである。ふつう港区の町は山の上はお屋敷町、山の下が庶民的な商店街とわかれることが多いのだが、二本榎商店街は珍しく山の上にある。だから小さな個人商店が並んでいるのに非常に明るく解放された感じがする。
川本三郎著『私の東京町歩き』ちくま文庫 1998年 p.48

 この一文を読んでとても行ってみたくなった。ちょうど10月の終わりに上京した際の飛行機の中でこのエッセイを読んでいて、ついでに立ち寄ってみる事にした。エッセイには続いてこういう記述がある。

 この町には新橋から都営浅草線に乗って行く。新橋から大門、三田ときて三つめの泉岳寺で降りる。そして細い坂道をのぼっていくと商店街に出る。新橋から約十五分である。そこんは都心とは思えないような “昔し町” が残っている。最近、この町を知って夏のあいだ銀座に出たあと何度か散歩に通った。この町の魅力は、小さな商店街と坂とそしてお寺だ。
川本三郎著『私の東京町歩き』ちくま文庫 1998年 p.49

 このルートで歩こう。そう決めた。

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 で、やって来ました泉岳寺。地下鉄の入口はまあ、こんなもん。

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左図: 駅前に藪蕎麦。11時くらいだったが、入って山菜蕎麦を食べた。旨いとも思わなかったが不味くもなかった。客は僕以外に誰も居なかったが、雰囲気は悪くなかった。

右図: 店を出て泉岳寺方面へ歩く。ご覧の通りに割と殺伐とした通り。

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 そして泉岳寺。境内に入って参拝もしたし、赤穂浪士の墓も見たのだが、今回の趣旨から外れるので割愛。強いて書くなら、上の写真で僕の前を歩いていた白人の青年が、僕よりも前に赤穂浪士の墓地のエリアに入って行ったのだけれど、僕が行き着いた時に彼の姿は無かった。擦れ違わなかったし、一回りしても他に出口は無かったと思う。彼は一体何処へ消えたのか。気になったが先を急ぎたいので考えない事にした。見物に来ていた客は、洋の東西を問わず外国人が多かったな。

 さて、ここでもう一度エッセイの一文を読み返す。

 そして細い坂道をのぼっていくと商店街に出る。

 この「細い道」とやらを探さなくてはいけない。行きつ戻りつ、ウロウロしてみてようやく下図の先にあるのではないかと見当を付けた。

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 右奥の門扉は高輪高校のもので、そこから生徒が何人か出てきたので気付いた。地図を見て貰えば判るが、この学校の敷地というのがもの凄く複雑な形をしていて、その事情を想像しているとちと楽しい。話は逸れたが、門扉へと向かう道の左側に空間の存在が見て取れるので、もしかしたら道が在るのではないかと思った訳だ。

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 果たして道は在った。人が擦れ違うのがやっとの細い道。書かれてあったのはこれに違いない。この道が泉岳寺と高輪高校のどちらの所有するものなのかは判らないが、よくぞこの抜け道を残したものだと感心した。所々の緩やかに折れ曲がった角に街灯が建ててあり、設備が相当古いのも相まって、夜にこの道を通ると良い雰囲気であるように思う。ちと恐い気もするが。

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左図: 泉岳寺と高校の境界線を抜けても相変わらず道は細かったが、今度は古びた人家やアパートが立ち並ぶ。住人以外は立ち入る事の無い感じがわくわくする。

右図: 更に歩き進んでいくと少し開けてくる。新しめのマンションなどが建ち並ぶ。

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左図: 更に進むと緩やかな上り坂になる。いよいよ商店街の通りに出るのかとわくわくしてくる。

右図: 出た。想像していたよりずっと道幅が広く、近代的な建物が並んでいる。商店街など何処にもないではないか。そう思いながら左に折れる。

(続く)

福原:もう一つ美術館が会社と違うのは、学芸員は転勤がない場合がほとんどなんですね。ごく稀に、同じ自治体の別の館へ、ということがありますけど、それは東京のような大都市くらいのものでね。まあ、あまりないんですよ。それで、研究一筋でしょう。その研究も、美術全体を見ながら研究してくれればいいんだけど、江戸時代の誰それの浮世絵をずっと研究してますという場合が多い。研究範囲を狭めないと研究成果が上がらないから、そうすると、視野が狭くなってしまうんです。
 会社の場合は転勤があるから、ほかの世界を見てからまた戻ってくることもありますが、美術館はそれができない。もちろん学芸員はあくまで専門性を追求していくのが仕事ですが、そのため人間の幅が広がりにくいし、世界が狭くなりがちです。彼らの視野を広げる刺激を与えるのが館長の仕事だと思います。それを防ぐために、私は学芸員たちに、なるべくよその美術館を見に行けと言っています。
 ほかの美術館を見に行けば、美術館のありようが外から見えるし、誰が何を誰に見せようとしているのかというポイントが見えてきます。いまや日本には美術館がたくさんあって、各館それぞれ工夫している。そのエッセンスを採り入れないのはもったいないと思うんです。東京で言えば板橋区立美術館が一生懸命やっていますよ。

蓑豊著『超〈集客力〉革命』角川oneテーマ21 2012年 pp.207-208

初恋動物園

 先日、福岡市動物園がリニューアルしたとのニュースを眺めていて思い出した事がある。

 僕は幼き頃に連れて行って貰った動物園で、親からはぐれたのか一時独りで行動しており、ふと視界の開けた高台の休憩所ような場所に居た。柵に囲まれ、ベンチがあり、お金を入れて見る事の出来る双眼鏡も在ったように思う。其処で僕は「これ以上の僕の好みに合う女の子は居ない」と思えるほどの同い年くらいの女の子に出会ったのだ。僕は長い事じっと見ていたのであろう、やがてその子も僕に気付いた。ニコっと笑ってくれて僕を見ていた。僕ももちろん見ていた。そのうちにお互いにモジモジし始め、何となく離れがたいような気分になったし、相手もそうであるように見えた。しかし僕は親の元へ帰らねばならない。きっと相手ももそうだろう。一言も発する事はなかったが、離れがたきに耐えるような、胸が締め付けられるような気持ちに陥った。

 という事を、随分と成長した後(成人はしていなかったと思うが、それまでのどの時期だったかは判然としない)に鮮明な映像としてその事を思い出した。という事を今回思い出した。話は複雑なのである。
 そして、最初に思い出した当時(その後何年かに一度くらいは思い出しているが同様に)は、その女の子の表情や着ていた服までもはっきり思い出したくせに、その記憶に自信が持てなかった。何故かと言えば、その光景以外には動物園での記憶が全くないからである。それに僕には、自分の記憶だと信じ切っていたものが事実ではなく、記憶を歪曲したかそれとも夢を見たとしか考えられないという事がたまにあって、それもあってその記憶を疑っていた。考えてみれば都合の良い話だし、動物園には行った事はないような気がするし、たぶんまた夢に見た事を勘違いしているのだろうくらいに考えて、やがて忘れていった。

 で、今回はせっかくなので事情聴取してみた。母が言うには、熊本市動物園には父の運転する車で行った事があり、福岡市動物園には保育園の遠足で行った事があるそうだ。全く記憶にはなかったが行った事はあったのだ。そして、何れにしても保育園の時だが、福岡市動物園は高台に在るので双眼鏡の在る休憩所も在ったかも知れないとの事。僕の記憶にやおら信憑性が出てくる。妙に楽しい気分になってきた。
 しかし疑問はまだある。通っていた保育園には当然女の子も居たし、彼女達に関しても微かな記憶はあるのだがほぼ興味はなく、一緒に遊んでいた男の子達の印象の方が遙かに強い。そして僕は当時で言う保母さんの一人がとても好きで、何となくそれが僕の初恋だと思っていた。そんな男子児童が、上記したような行きずりの女児に一目惚れなんてするだろうかね、という疑問。ああしかし、小学校に入学した僕はフツーにクラスメートの女の子を好きになったりしていたので、もしかしたら保母さんに恋をした後に件の女の子との出会いがあったりしたのだろうか。そう考えると何となく話がうまく収まるような気はするなあ。いやでも「これ以上の僕の好みに合う女の子は居ない」なんて幼児が考えたりするだろうか。その辺りの感情の記憶が歪曲されているのかも知れない。

蓑:お客さまに来てもらうためには、ポスターのデザインも重要ですね。それもデザインが良いか悪いかではなく、まず、どこでやっているのか、いつからいつまでやっているのかがはっきりわかること。でも、デザイナーはたいてい、美術館の名前を小さくしちゃうんですよ。

福原:デザイン優先なんでしょうけど困りますね。いくら言ってもなかなか直らないんです。だから最後の手段で、当館ではこのポスターのサイズならロゴは最低何センチと大きさを決めたんですよ(笑)。

蓑豊著『超〈集客力〉革命』角川oneテーマ21 2012年 p.206

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