DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Author: doggylife (page 41 of 193)

平成二十七年正月記

 正月は二日から寝込んでいた。元日の午前に末弟の家族が埼玉へ帰り、やれやれ静かになったと午後を静かに過ごしていたのだが、夜になって急に身体が疲労して耐え難くなったので早めに床に入った。そして翌朝は頭と喉と背中と腰が痛くて起き上がれなかった。熱はあるがさほどでもなく、計ってはいないが恐らく38度少しくらいなものだったろう。大晦日辺りから咳が少し出てはいたのだけれど、突然の災厄であった。

 そこまではたまにある事なのでどうでも良いのだが、三日ほど寝込んだうちの前半は、覚醒した状態と昏睡した状態を行ったり来たりしながら長い時間を過ごした。時間の経過が感じられたのは、目を覚ました時に気付く部屋に差し込む光の量が変化するせいであって、痛みと苦しさに荒く呼吸しているだけの存在と成り果てていた自分には何も考える事すら出来なかった。ただし、目をつむってしまうと瞼の裏に映像のようなものが見えた。それは健常な時でもたまに見える抽象的な色彩パターンではなく、やけにリアルな具象ばかりであり、大きな意味でのパズルのようなものだった。鉄片を切り取った複雑な形のジグソウパズルのようであったり、悪質な人々であったり、文字としての恨み辛みを繰り返す言葉だったりした。それが何かの答え合わせをするかのように二つのものが組み合わせを確かめ、大概は上手くいかずに次のものに入れ替わった。それは4分の1拍子くらいの速度で入れ替わり、それがずっと続くのだ。ああ、とうとう頭がおかしくなったのかと思っていると意識が消える。その繰り返しだった。途中何度か家人から声を掛けられ、生返事をするという事を何度かしている。差し入れて貰った果実を食べたり、ポカリスエットを飲んだりもしていた。

 それから二日目の午後に目を覚ますと身体が随分と軽くなっていたので、どうにか起き上がって台所へ行きマンゴージュースを飲んだ。その時に気付いたのだけれど、口の中からフリスクの破片のような白い物質が驚くほど出てくるし、鼻をかめば血の混じった地獄絵のような粘液が出てくるし、下唇の皮が痛みもなくペロリと全部剥がれた。一体自分はどうしたのか。もしかしたら本気でヤバかったのではないか。考えると恐くなるので自室に戻って再び床へ戻った。身体を横たえて目を閉じると、瞼の裏の映像は見えなくなっていた。僕は深く安堵し、今度は長く眠った。
 しかし睡眠は浅かったようで、今度は夢をいくつも見た。それは映像の断片が脈絡もなく繋ぎ合わせられているようなもので、陰影が強く、色彩が派手な映像だった。しかも物凄く解像度が高くて、思わず(夢の中なのに)眼を凝らしたり前のめりになってしまった。内容は殆ど覚えていないが、人や風景だったような気がする。とても美しい映像だったと思うが、いささか疲れる夢だった。

 現在では完治はせずともだいぶ復調している。思い返せば珍しい体験だったので多少面白く感じるが、二度は御免である。初夢が一富士二鷹三茄子どころか、禍々しい魑魅魍魎のパズル絵だったとは恐ろしい。この体験が厄落としにでもなってくれれば良いと願うのと同時に、後から見た夢のように刺激的で美しい光景に自分の現実が飲み込まれる事を願ってやまない。

おおつごもり夜話(第四話)

 ホームから1キロも歩いただろうか、疲労も激しく、下半身に力が入らなくなってきた。俺は人家の植栽の縁石に腰掛けた。杖を支えにしてうな垂れる。目を閉じると、泣きたいような気分になった。こんな気分になるのは一体何度目だろう。いつもではないが、散歩に出て今日みたいに自分の身体の衰えを痛感するとそうなる。俺だけじゃない。きっと年寄りはみんなそうなんだろう。重苦しくざわつくような疲労感が消え去ってくれるまで、俺はそのままじっと堪えていた。

 -

 現在俺は、住宅型の老人ホームで暮らしている。76歳だ。定年になるまでアルミサッシを造る工場で勤め上げて貯金は在ったし、住んでいた家屋や土地も売り払った。それでも足りなくなったら援助すると二人の息子も言っている。なので俺は、死ぬまで此処でぼんやり過ごしていれば良いわけだ。田舎だし、月々の賃料はそんなに高くない。食事代と光熱費も込みだ。もし必要なら併設された施設でデイサービスの看護を受けられるし、個人的にヘルパーを頼む事も出来る。それは別料金だが、今の俺には必要無い。
 住宅型と言え、マンションのようなものではなく、ホテルみたいなもんだ。一階の玄関を入り受付を過ぎると、大きな食堂兼レクリエーション室が在り、テーブルの他にソファやテレビなんかも置いてある。そこからエレベーターに乗って、上階の個室が列ぶフロアに行く。部屋にはベッドと机、それとは別に小さなテーブル、洗面台に浴室が在る。台所は無い。つまりは入居者に火を扱わせないという配慮なんだろうと思う。俺がこの施設に入った理由もその辺りにある。

 65歳で定年を迎えた俺は、息子達がとうに居なくなった家で、妻と二人、悠々自適に暮らし始めた。働くばかりで特に趣味を持たなかったが、妻と連れだって美味いものを食べに行ったり、散歩したり、庭弄りを初めてみたり、夕方になれば野球や相撲をテレビで観戦したりして過ごした。俺には充分過ぎる毎日だった。
 ところがそれから5年後、妻が脳卒中で倒れた。そして再び目覚めることなく、そのまま死んでしまった。あっけなかった。障害を残したまま生き延びて苦労するよりマシだという考えもあるだろうが、俺は妻に生きていて欲しかった。妻の介護でどんなに苦労しようとも、共に暮らしていたかった。妻が居なくなってしまえば、俺には生き続ける理由が無くなってしまうからだ。老いていく恐ろしさも、妻と一緒なら大丈夫だと思っていた。それが或る日突然、すべてがナシになった。妻を失った悲しみと、人生の終わり近くでいきなり放り出されたという不安が入り交じって、もはや何も考えられなくなった。
 葬儀やら何やら諸々のことが終わった後、暫くの間俺は殆ど家の外に出ず、ただ時間が過ぎるのを眺めていた。それでも日に一度はコンビニへ買い物に行っていた。朝起きて、昨夜の残り物食べ、昼には買い置きの弁当を食べ、排泄し、風呂に浸かり、夜にはまた買い置きの弁当を食べた。時間の空白を埋める為にテレビはずっと点けていた。起きている事に苦痛を感じ、布団の中に身を横たえて寝る前に妻との思い出を反芻し、消え入るような気分で眠った。
 そんな状態だったから、当然俺の生活は荒れた。掃除はしないし、洗濯なんかもずるずると引き延ばして、どうしようもなくなってから何枚か手荒いで済ませたり、コンビニで買い足してその場を凌いだ。そうこうしている内に、あっという間にごみ屋敷のようになった。その間まったく連絡しないでいたので、さすがに心配した長男が様子を見に来て、その様子に驚き、俺を施設に預ける事を提案してきた。俺は気付いていなかったが、コンロの周りに包み紙が散乱していて、それが焼けていたそうだ。俺は息子から大きな声で怒鳴られながら、それでも俯いているしかなかった。
 そして俺は、70を迎えた年に施設へ入った。息子達はそれぞれ立派に暮らしているが、俺を迎え入れるのは迷惑だろうし、俺も自分のどうしようもない姿を彼らに見せるのは嫌だった。ただ静かに、生きていたかった。

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 当時の荒れた生活のせいか、俺は体力や筋力をかなり失っていた。歩けるのは歩けるのだが、すぐに疲れてしまって座り込んでしまう。働いていた頃の自分が夢のようだ。入所してすぐにケアマネージャーと相談を重ねた。奥様を亡くされた精神的な影響も残っているのでしょうから、無理せず、少しずつでもリハビリをして行きましょう。と、そういう事になった。しかしながら俺には気力が無かった。毎日のリハビリも続かず、寝てばかりいた。
 ところが或る日、自分と同じように施設内で歩く練習をしている男性を見かけた。来る日も来る日も、彼はスタッフに支えられながら歩いていた。俺にはそれが気になってしまい、彼の姿を盗み見るようになった。リハビリは思うように進んではいないようだった。その男性はいつも苦悶の表情を浮かべ懸命に歩いていたが、いつもよろけてしまい、どうしようもなくなって、スタッフが用意した車椅子に乗せられて自室に戻っていった。

 ある時昼食を摂ろうと食堂に入っていくと、その男性が独りでテーブルについて食べていたので、俺はつい同席を願い出た。

「すみません、失礼ですがご一緒しても良いですか?」

「あぁ・・・良いですよ」

 俺はテーブルに手を突き、身体を支えながらゆっくりと腰掛けた。

「脚がお悪いようですね」

 俺は率直に話しかけてみた。彼は少し苦しそうな表情を浮かべ、答えた。

「ええ、車で事故を起こしましてね。長く入院していたので、すっかり弱ってしまいました」

「そうでしたか」

 俺達は暫く食事に没頭した。

「私もね、長く引き籠もっている間に、まともに歩けなくなってしまったんですよ」

「ほう、それはどうして?」

 俺は、これまでの顛末を簡単に話した。彼は俺の目を見て、頷いていた。

「私も随分前に妻を亡くしましてね、それからずっと独り暮らしだったんですよ。それである時事故を起こしちゃったんですが、退院しても身体が元に戻らない。かと言って娘家族の世話にはなりたくなかったんで、此処に入る事にしたんです」

「そうでしたか。何だか私ら、似てますなあ」

「ええ、よく似てます」

 彼は笑顔を浮かべた。そしてうどんを啜った。

「それにしても貴方は、リハビリ頑張っておられますね。私はすぐに疲れちゃって、止めちゃうんですよ。どうしてそんなに頑張れるんです?」

「うーん・・・早く歩けるようになりたいんですよ」

「どうしてそんなに?」

「私はね、散歩するのが好きだったんです。亡くなった妻も好きでした。自分の脚で歩いて何処へでも行けるというのは嬉しいし、散歩の途中でいろんなものを発見するのが楽しかったんです」

「なるほど。散歩ですかあ、私は余りしませんでしたね。働いている時は、家と会社を車で往復してましたし、それ以外に出歩く事があんまりなかったんですな」

「やってみたら良いですよ。きっと楽しいと思います」

「そうなんでしょうかねぇ。しかしまぁ、取り敢えずまともに歩けるようにならないと」

「まぁ、そうですよね」

俺達は笑いながら、残りの食事を平らげた。

 -

 それから食堂で見かけると、時々話すようになった。相変わらず彼はリハビリを懸命にこなしていて、さすがにそういう時は話しかけられない。会釈する程度だ。そして何となくだが、俺もリハビリを再開した。彼に対して恥ずかしい気持ちになってきたからだ。医学療法士のスタッフにはどういう風の吹き回しかと聞かれたが、適当に笑って誤魔化した。

「最近、頑張っておられるようですね」

「いやぁ、まぁ・・・私も頑張りたいと思いましてね」

「そりゃ良いことです」

「はぁ、息子達がいつ様子を見に来るかも知れませんし、少しでも練習しておかないと」

「そうですなあ」

 そんな会話もした。そして程なく、俺は施設内ならどうにか歩き回れるくらいにまで回復した。自分では驚きだったが、スタッフはそうでもなさそうだ。予想されていたのかも知れない。俺はたぶん、心の問題で萎縮していただけなのだろう。それから間もなく、医学療法士のスタッフに外を歩いてみないかと勧められた。自信はなかったが、ここで止めてしまうと元に戻ってしまうんじゃないかと不安になり、少々無理があっても挑戦してみる事にした。

「私、明日から外を歩いてみようと思うんですよ」

「ほう。回復が早くて羨ましいですね」

「いやぁ、私が後から始めたのに、何か申し訳ないです」

「そんな事ありませんよ。回復のスピードは人それぞれですから」

「そうなんでしょうかねぇ」

「私も頑張りますから、貴方も明日は頑張って下さいよ」

「あぁ、そうしましょう」

 -

 次の日、俺は用意しておいた杖を突き、ゆっくりと歩き始めた。暫く歩いてみると、施設内を歩くのとは勝手が随分違う事に気付いた。道は決して平坦ではないし、冷たい風は吹いているし、田舎とは言え車や自転車や人通りもある。気疲れなのか、俺はすぐに疲れてしまった。立っているのも億劫なので、適当な場所を見つけて座り込んだ。
 調子は良いと思っていたのに、やはり無理なのか。俺はそう思って落ち込んだ。疲れも手伝ってか、暫く動けなかった。道に散らばって、踏みつぶされた街路樹の葉っぱが目に入った。自分が憐れにに思え、妻の顔が思い浮かんだ。俺は驚いた。妻の事を思い出したのが久しぶりだったからだ。つまり、妻の存在を今の今まで忘れていたのだ。妻が亡くなってからというもの、毎日妻のことを思わない日はなかった。かつての妻との生活や、為し得たかも知れない妻との生活の事を繰り返し夢想した。いつの間にか、そういう事をしなくなった。何故だろう。
 それ以上ものを考えられなくなったので、取り敢えずホームに帰る事にした。それにしたって一苦労だ。どうにか帰り着く事は出来るとは思えたが、往きよりも数段辛い。しかしそうしない事にはどうにもならないので、俺は必死に歩いた。辿り着いた時には、もうやりたくないと思った。
 翌日の食堂で、俺は彼に一部始終を話した。

「それは仕方ないですよ。始めたばっかりでしょう」

「そうなんですけどね。いやぁ、自分が情けなくて」

「年寄りが全員そうだとは思いませんが、そういう人はたくさん居ると思いますよ」

「そうですかねぇ」

「そうですよ。それに、貴方には頑張って貰わないと」

「は。それは解ってます」

「お願いしますよ」

 そうは言ってもすぐには無理だった。どうしても気力が萎える。俺は二日後に再び歩き始めた。前回の失敗を繰り返さないように距離を短めに設定して、慎重に脚を進め、少しでも疲れを感じては立ち止まって休んだ。その日は長くは歩けなかったが、這々の体に陥るような事はなく、気分良く帰る事が出来た。それで俺は自信が持てた。今は全然ダメだが、このまま練習を続けていけば自由に歩き回れるんじゃないかと夢想する事が出来た。
 しかしそう簡単な事ではなかった。調子が良い日もあれば悪い日もある。前日に調子良く距離を伸ばせても、次の日は何故かすぐに疲れてしまい引き返すような事も度々だった。そういう時は疲労が溜まっているのだと思い、二三日休んでから再開した。しかし一進一退の状態が長く続いて、俺は段々と頑張る事に飽きてきた。

「最初の時のように頑張れない、というか楽しめないんですよ」

「景色とか見てます? ただ脚を動かしてるだけじゃあ、そりゃあ楽しめませんよ」

「いやでも、これは歩く練習なので」

「散歩で良いじゃないですか、散歩で。その方が気が楽になると思いますよ」

「そんなもんでしょうか」

「ええ。散歩なんだから毎日キチっと歩かなくても良いし、何処をどのように、どれだけ歩くかも勝手ですし、疲れたらすぐ止めてしまえば良いんですよ」

「ああ、そう考えると気が楽ですね」

「気を楽にして歩くと、自然と景色が目に入るようになるんですよ。そうすると、毎回違う事に気付いたりして楽しいですよ」

「気付くって、どのような?」

「分かりやすいのは草花や樹木でしょうかねぇ。それに川の様子だとか、もちろん天気も違いますからね」

「うーん、じゃあちょっと注意して見てみます」

 俺は半信半疑だった。そういうのが楽しいようには余り思えなかった。しかしやってみようと思った。何故かと言えば、俺より彼の方が人生の楽しみ方というものを知っているような気がしていたからだ。既に彼には、同期とか同僚とかそういう親しみを感じていたが、何となく先輩のような印象も持っていた。とにかく、やってみる事にした。

 -

 それから二ヶ月ほど歩き続けて、ようやく分かってきた。元来の性格のせいか、観察するという感じだったが。天候に拠って川の水位は違うし、鷺や鴨が今日は何羽居るだとか、とある人家の庭の木々がどのくらい落葉しているとか、そういう事を毎回確認した。それは何となく楽しい事のような気がした。毎回疲れはするが、少しずつ距離も伸びて来た。その頃には軽いリュックサックを背負い、その中に小さなペットボトルに入れた水を持ち歩くようになっていた。

 そんな日々を過ごしているうちに俺は思い出した。亡くなった妻は散歩が好きだった気がする。何故なら、今日どこそこに行ったらこんな花が咲いていたとか、どこそこの庭は手入れが行き届いて素敵だとか、そういう話をよくしていた事を思い出したからだ。そうか、そうだったのか。俺はそんな事さえ忘れてしまっていた。散歩に付き合ってあげれば良かった。そうしたらもっと楽しい時間を一緒に過ごせたのに。その夜俺は、後悔の念に打ちひしがれ、なかなか寝付けなかった。
 次の日から、テレビの横に置いていた妻の位牌をリュックサックに入れて歩いた。これでは妻に景色が見えないではないかと、自分の思いつきに落胆したが、まさか抱えて歩く訳にはいかない。妻には道中は我慢して貰って、景色の良い場所に辿り着いた時にリュックサックから出して見せてあげた。

「それは良い事ですね。奥さんもさぞ喜んでいるでしょう」

「いやはや、お恥ずかしい」

「そんな事ありません。私も是非そうしたいですよ」

「最近調子はどうです?」

「徐々に良くなってきましたよ。もうすぐ外に出れると思います」

「それは良かったです。そのうちに、散歩をご一緒したいですな」

「ああ、そうしましょう」

 -

 年の暮れとなった。ホームでは、大晦日には皆集まって紅白歌合戦を観ましょう、という呼びかけがなされている。そして明くる日の元旦には、おせちを囲んで新年を祝いましょうという手はずだ。それはそれで良い。それなりに楽しい催しだろう。しかし何かが抜けているような気がした。しかしそれが何なのかはよく判らなかった。
 食堂で彼に会ったので、話してみた。

「大晦日ですなあ」

「そうですねぇ」

「紅白観ながらの晩餐には参加されるんです?」

「いやぁ、あんまり興味が持てなくて」

「そうですよねぇ。私もそうなんです」

「もっとしっぽりしたいんですよ」

「そうそう、酒でも飲みながらね」

「良いですなぁ」

 この施設では、特に飲酒を禁じている訳ではないが、進んで用意してくれはしない。飲みたければご自分でご自由にどうぞ、という感じだ。それはそうだろうと思う。入居者は一日中暇なものだから、下手に酒を提供すれば一日中だって飲み続ける輩も居るだろう。そうなると問題も出てくるだろうし、そういう事に関与したくないのだろう。当然だ。

「あのぅ、今夜部屋で飲みませんか?」

「お。良いですね」

「私、何度もコンビニまで行ってますから、何か買って来ますよ」

「お願いしても良いんです?」

「えぇ、もちろん。酒は何を?」

「やっぱり日本酒が良いですな」

「そうしましょう。肴はおでんで良いですかね」

「良いですね。サキイカなんてのはもう歯が立たなくて」

「いや、それは私も」

 俺は、何だか楽しくなってきた。

 -

 おでんが冷めてしまうとは思ったが、夕暮れ時にコンビニへ行く事にした。夜に歩くのは未だ少し恐い。良い顔はしないと思うが、スタッフに頼めば温め直してくれるだろう。
 コンビニへ辿り着くと店内は暖かく、おでんの匂いが漂っていた。結構客が入っていて、皆楽しげだ。家族連れが来ていたり、若い人達が数人で来ていたり、それぞれに買い物を楽しんでいた。俺は良さそうな銘柄の日本酒の四合瓶をカゴに入れ、おでんが置いてあるレジまで行った。

「大根と牛筋と、それから竹輪とがんもどき、それと玉子を二つずつ下さい」

「かしこまりました」

「あっ、それとシラタキも入れて下さい!」

 俺はふと妻がシラタキを好きだった事を思い出したのだった。妻が作るおでんには、シラタキがたくさん入っていたものだ。しかしこれは一つだけにしておいた。彼に付き合わせるのも申し訳がなかったので。

 俺はビニール袋を両手に提げて店を出た。夜空は雲一つなく、月が頭上に浮かんでいた。部屋に戻ったら、テレビの横に置いている妻の写真と位牌をテーブルに出しておこう。彼は嫌がるだろうか。そこはお願いしてみよう。なんなら彼も同じようにすればいい。俺は妻と一緒に大晦日の夜を過ごしたいと思ったのだ。そういう事が空しいとも思わなかった。そうする事が当然であるような、当たり前であるからこそそうしたいと、そう思った。白々とした街灯に照らされながら寒い道を歩く。息を吐けば白い。ほっとするなあ、俺はそう独りごちた。さあ、早くホームに戻らなければ。彼らが待っている。

人は変わったりしないのかも知れない。

 人は先天的にある性格的傾向を持って生まれてくる、と僕は考えている。そしてその傾向は、その人の人生と言って大袈裟なら生活に於いて、良くも悪くも働く。と僕は考える。

 とある人がその性格的傾向に因って、大なり小なりの対人的な不具合を若い時に感じるとする。本人が感じるくらいなので周囲の人々も重々そう感じていて、それがその人の一定の評価となる。これはその人の性格的傾向が悪い方向に働いた結果である。
 それから年月を経て、成長する過程で社会的に揉まれる内に、その人は己の性格的傾向が招く不具合を解消すべくバランスを取るようになる。周囲から度々非難されたりして当人も色々悩んでいる内に、徐々に獲得して行った処世術のようなものであるのだろう。そう考えると、これは人が変容したのではなく、それまで自分の裡になかった要素を重りのように付け加えて行って、それでヤジロベエのようにバランスを取っているだけのように思える。社会的にはそれで充分であるだろう。しかしこのバランスが崩れる時が、生活している中で往々にして訪れるものなのだ。
 例えば、深く酩酊した時や、病気や何かで自分自身を巧く扱えない時、年老いて自由が効かなくなった時もそうであるようだ。酩酊した場合は妙に開放的になった場合と、泥酔してどうにもならない状態になった時では状況は違うが、いずれの場合も出る。不自由な状態を強いられ余裕がなくなったり外的ストレスが感じられなくなると、幼少の頃には他者に対して通じたのであろう態度や方法で自分の欲求を果たそうとする。近年感じるのは、気心の知れた人達しか居ない空間でも外的ストレスが激減するようで、非常に子供じみた態度をとる人が居る。現実空間ではなかなかそういう状況にはならないが、クローズドなネット空間では顕著である気がする。何処であろうが相手が誰であろうが、歳を取ってくればある程度の社会性は維持するべきだしそのようなものだとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。全員がそうなる訳でもないが、中にはとんでもなく非常識な言動や行動を嬉々としてやらかす。この「嬉々として」というのが非常に厄介である。本人には何の悪気もなく、楽しそうに露悪的な態度を示すのだ。

 以上のような光景を目の当たりにすると、人というのは己の偏った欲求や底意地の悪さを根底に抱えつつ、身に付けた社会性でどうにか穏便に世間と関わりながらも、機会が在り次第己の残酷さを発揮しようと虎視眈々としながら生きているのではないかと思えてきて、少し絶望的な気分になる。そこに作為が在るという訳ではなく、自分では抑える事の出来ない、どうしようもない欲望を如何にすべきか知らないという点で。

或る日の電車内の光景

 ここ最近大学の時の友人に頼まれて、時折彼の工房へ手伝いに行っている。要はバイトだ。その際には彼の住む町まで私鉄の普通(関東で言う各駅停車)電車に乗って南下するのだが、今日は遠出をする予定だったのでいつもより一本早い電車に乗った。すると、いつもは殆ど見かけない高校生が座席を占拠するようにたくさん乗っており、そうかこの時間帯が彼らの通学時間なのだなと得心するに至った。
 それは良いのだが、彼らの来ている制服にどうも見覚えがなく、とは言っても僕が知っているのは25年以上前の事だが、何処の高校なのだろうと彼らの制服や学校指定のバッグを盗み見していた。目星をつけていた近くの公立高校の在る駅に着いても彼らは降りないので、おそらく少し先に在る私立高校だろうと検討を付けた。いずれにしても制服は大きく様変わりしている。どちらの高校も、かつては男子は黒い学ランで女子は紺色のセーラー服であった。ところが目の前に居る彼らは、男子はダークグレーにピンストライプで三つボタンのスーツ。女子は紺のブレザーに深緑のチェックのミニスカートに紺色のハイソックスである。女子の制服はフツーに可愛い。しかし男子の制服は正直もっさりしていてダサいと思った。何故ダークスーツなんだ。しかし考えてみれば、九州の田舎の男子高校生がダサくてもそれはそれで良いような気がする。そもそも他人事だし。

 今朝はそんな彼らを電車の中で見物していたのだが、なかなか楽しかった。

 僕のすぐ近くには席にあぶれた仲の良いグループであろう男子達が立っていた。各駅停車なので、電車が一駅進む毎に友達が乗ってきて、窓外に姿が見えれば皆でニヤニヤしながら迎え入れ、乗車するや否や軽口を叩いて喋り始める。この時間の電車の先頭車両で待ち合わせしているのだろう。なかなか微笑ましい光景である。そして、そういうグループの中には一人は居るお調子者、よく言えばムードメーカー的な役割の男子が皆にまんべんなく話しかけていた。内容と言えばどうでもいいようなつまらない事だが、友達の気持ちをほぐすには適度な話題だ。沿線にスーパーイオンモールが在るが、それについての話題だとか。

「スーパーイオン、なんが在ると?」

「知らん」

「イオン、なんか在るとね?」別な友達に向かってわざわざ繰り返す。

「なんもなかろ」

 そんな感じ。相手の友達連中も嫌そうな素振りもなくニヤニヤしながら答える。どーでもよい話だが、田舎の高校生にとってはそれが有意義であるのかも知れない。
 友達連中に一通り話しかけた後、ムードメーカーの男子が次に話しかけたのは彼らの側に立っていた一人の女子だった。

「知らんよ」クスクス笑いながらその女子は答える。

 決して美人とは言えないが、笑った顔が可愛い背が低い女子だった。車内を見回すと、席に座ってお喋りに講じている女子達がたくさん居たが、その子だけが一人「友達とは一緒じゃないし、たまたまそこに乗り合わせた」体でおちゃらけ男子グループの側に居た。僕はへーと思った。なるほどね、と。僕の偏見がそうさせるのかも知れないけど。そして言わずもがな、おちゃらけ男子グループの連中は全員その子に大注目である。もちろん興味がない体を装いながら。
 想像するに同じクラスだがまともに話した事はなく、しかし何となく気になるので側に寄ってみた、という感じだろうか。それがこのおちゃらけ男子グループ全体の雰囲気に惹かれているのだとしたら良いのだが、もしかして対象がその中の一人だった場合、行く行くは仲の良い友達の一人が明日から別行動するようになるのかも知れんねぇ、と僕は余計な心配をしていた。すると突然。

「あ、生足やんね。ポイント高かねー」

「○○も生足やったばい」

「ホントね、オレはまだ見とらんばい」

 と、男子連中が騒ぎ始めた。オッサンかお前ら。まぁ照れ隠しなんだろう。なんだろうけどあのな、今は良いかも知れないが、社会に出て同じような事を女性に面と向かって言い続けたら、此処が九州とは言えども非難を浴びる事になるかも知れんのやぜ、とまたしても無駄な心配をしているうちに僕の目的地へ着いた。

 概ね面白かった。そう言えば昔は、僕も同じような事をやってたなと思いながら僕は電車を降りた。

Photography of HONG KONG DEMOCRACY

これらの画像はインターネット上から集めた。なので僕にはこれらの画像を使用する権利は無い。しかし、これらのものを後年に伝える為に残す事は必要だと考えるので、これらをストックする事にした。

香港市民に真正なる普通選挙の権利を。

I gathered from the Internet these images. So there is no right to use these images to me. However, because I think that it needs to leave in order to tell in later years these things, I decided to stock these images.

Give the right of universal suffrage in Hong Kong a genuine citizen.

我從網上收集的這些圖片,所以就沒有使用這些照片給我的權利,但是,因為我認為它需要為了告訴在以後的歲月裡這些東西離開,我決定去購買這些圖像。

給予普選香港權的真正公民。

因みに、自分が知ってる文法や単語でどうにか文章を調整出来るのは英語だけで、繁体中国語は英語からの機械翻訳である。なので所々間違ってる可能性は高い。

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